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海で生きる男。ヘミングウェイの「老人と海」を読んで
ヘミングウェイの「老人と海」を読んだ。
情景がありありと浮かぶ本に久しぶりに出会った。海の波の感じ、空の感じ、風や、老人の皮膚の感じなど、まるでそこにあるかのように文字がなぞっていく。
老人がとらえたまかじきは最終的にはサメに食べられてしまったが、老人が戦って勝った功績はまかじきの骨として、しっかりと残っている。
しかし、読者は後から気づかされる。
これは、大きな魚を釣ったある漁師の伝説ではない。日常なのだ。老人は、明日はまたいつもの通りに漁に出るであろう。そこにこの物語の真髄があるように思う。
老人は小鳥に「旅行ははじめてかい?」と尋ねる。夫婦連れのまかじきの雌を釣り上げた時、死ぬまでずっとその場を去らなかった雄を、あいつは最後まで逃げなかったな、とまるで勇姿を見せた友人のように思い出す。大きなまかじきでさえ、命をかけたやりとりであるのに、老人は少しもまかじきを憎んでいない。むしろ友愛を感じ、戦友のように思っている。
老人にとって海は、生きる糧であり、友人であり、女であり、母でもある。老人は海を、そのような多義的な存在として愛している。魚や鳥やもろもろを含んだ存在としての海を。
大きなまかじきを釣ったことは、そんな海とのやりとりの1つである。
ある漁師の生活の断片を切り取った、美しい作品であった。