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あわあわとふわふわと、でもきっとずっと/『彼女は夢で踊る』

誰かが居なくなること……。
誰か、と書いたけれど、それは人だけじゃなく、物だったり、場所だったりもある。
かたちはこの世から居なくなる、けれど「私」の記憶には永遠に残っていて……。
その記憶はきれいで、でも苦くて、
現実なんだけれど、まだ、いや、ずっと現実のものとして受け止められなかったりもする。
でもまごうことなき現実で……。
あわあわと、ふわふわと。
いつまでもいつまでも胸の中で踊っているよう。
それはまさに〝胡蝶の夢〟、でも、蝶じゃなく、現実で……。

話題の(?)映画、『彼女は夢で踊る』を観た。
ふしぎな映画、でも、とてもリアルな映画。
ふしぎな時間、でも、とてもリアルな時間。
正直言う。ツッコみどころは多かった。
好きかと言われると全力全身で好きとは言えないかもしれない。
でも気付けば、ほろほろ、ぽろぽろ。
いや、終わった後は、ちゃっかり劇場前のポスターの写真をこうして撮るくらいの
冷静さはあった訳だけれど。でも、ほろほろ、ぽろぽろ。
そんな自分に気付き、後からちょっと笑ったり。
「ああ、私にとっても〝そこ〟は大事な大事な場所になったんだ」って、嬉しくて切なくて。

〝そこ〟とはストリップ劇場。
この映画は、
全国でももう数少なくなってしまったストリップ劇場、
の、うちのひとつ、閉館を間際にした「広島第一劇場」にまつわる、〝胡蝶の夢〟、
ううん、この劇場の社長と実在する社長をモデルに、
社長の想い、劇場に来る皆の想い……舞台に立つ人も客席で観る人も……を、
リアルにも幻想的に、幻想的にもリアルに、描き、魅せた、作品。

先月、やっと観に行けた!

「やっと」というのは、言葉だけじゃなく本音。
劇場で知り合い、程よい距離感で仲良くしてくださる〝おっちゃんたち〟
(この言い方失礼かな。でも尊敬と親しみをこめてこう書きますね)から
勧められていた、薦められまくっていた。
最初は舞台となっている広島だけでの公開。
からの、全国公開が予定されていたのに、この度の、コロナ禍。
全国上映が決まっていたのにお預けとなっていて、やっと。10月末から。
「行きや」「あんたは行かなあかんやつやで」「お前、もう行ったか?!」!!

結果、行って、行けて、私は、泣いた。

私もまた、ストリップにハマって、ストリップ劇場に足しげく通う人の一人である。
ステージ(舞台)が好き。
中でも特に、大好きな踊り子さんのステージが、ヤバい、大好き。
何度観ても、どの演目を観ても、大好きがアップデートされていく。
結果、ご本人の体調やらを心配しまくったりするアホで痛いファンにすらなってしもた。
さすがにもう3年観てたら、慣れるかな? いやいや、毎回、胸がいっぱい。
彼女のステージと彼女に出会えたおかげで、本当に、たくさんの影響をうけている。
地元の劇場で観るのは勿論、全国への追っかけで毎日が楽しくなったことは勿論、
たくさんのことをそのステージから学ばせていただき、気付きをいただく。
例えば、それは人の尊厳や世界の平和やありとあらゆる差別だったり、
言葉の意味も深く考えぬまま多用してきた縁や出会いやだったり、
さらに、人を大事にすること、だから、自分を大事にすることだったり。
心のための体、体のこと、人間の肉体、と、心。
人は一人じゃなく支えられ支え合って生きているということ。
そんなことたくさんのことを考えたり見直したり気を付けたりするようになった。
出会えて、よかった。本当に、しあわせ。

でも、私がストリップにハマって、
ストリップ劇場に足しげく通っているのは、それに加えて、ん、それと同じくらい、
〝劇場〟という空間と、そこに集う皆が、好きだからというのもある。
これも、彼女と、彼女のファンや応援の方々、いろんな踊り子さん、そのお客さんや応援さん、劇場に来るすべての人から教わったことだ。
場所に集う皆がつくりだす空気、空間、誰も否定せずつつみこむ場所。
もう私にとってもなくてはならない大事な場所と皆。

と、書いても、知らない人からしたら「?」かもしれない。
「え、ストリップで?」
「ストリップ劇場で?」
「なにを観る場所か…って、そういう場所でしょ?」
「そこで、なんで、しかも女が?」
うん。そんな風に思われたり昔からの偏見や固定観念がある世界。
その偏見や固定観念に含まれる過激すぎることは現在の劇場では行われてはいないのだけれど、まだまだ、そしてこれからもそんな偏見や固定観念は知らない人知ろうともしない人にあると思う。
法的にも、おおっぴらに、おてんとうさまの下大手を振って、というものではないから。
でも、本当に、私だけなく、男や女や関係なく、皆、皆が、めっちゃしあわせな世界。
あったかくて、やさしくて、というと漠然なのだけど。
ステージで魅せられる「からだ」、そのからだは心で見せられ、私たちもまた心で観て、心に沁みる。
そうして見守り、そして、守り、通い、また見守る。
舞台と客席の、
決して器用ではなく
どちらかというといろいろめっちゃ繊細な皆が
双方向の気持ちを送り合って、その瞬間気持ち一緒になり、
〝カーテンコール〟では笑顔にもなり、
そうして皆が、日々や人生、先が見えなかったりするそれらの中、
ほんのちょっと、いや、だいぶ、救われたような気にもなり、皆が「また明日」となり、生きる。
私もまたこの空間と皆に救われているからこそ、皆の存在と笑顔が、めちゃめちゃ愛しい。
尊敬と、愛と、(もちろん、おっちゃんらのすけべ心と)、「生」の力に溢れていて。
明日を、人生を、生きる活力をもらえる場所だと感じてならないのである。

しかし。

現在のストリップ劇場はピンチだとあちこちで聞く。いや、ピンチだ。
いや、言い切りあかんし、信じたくないけど。でもこれは現実。
いろんなお客さんから教わった、教わってきた。
現在の法律では新しいストリップ劇場は建てられないということ。
また現在存在する劇場も閉館してしまうとそれで終了ということ。
さらに今年のこのコロナ禍……。
明日、来月、来年、劇場がこの世界が、どうなっているかは、わからない。
いや、そんなことストリップだけじゃなくって
すべての問題なのだとはわかりたくないけどわかっているけど。
わかっていて、わかりたくないけど。
でも、ストリップ劇場、
この性風俗でありながら、でも、それがゆえ精神的に、明日への活力をもらっている
この場所が、明日、来月、来年、どうなっているかは、本当に、わからない。
なんで。なんでや。でも、これは「ゲンジツ」の問題なのだ。
そんなことを舞台上の踊り子さんも、
客席の常連さんも、強く、強く、意識しておられるのもわかる。
意識しながら、だから、かけがえのない「今」を楽しみ、
他にはないこの空気とあたたかさに笑顔を浮かべながら、だから、
それぞれがそれぞれに出来ることやれることをしている。
このあたたかさとすべてを包み込んでくれる空気はそんなところにも理由があるかもしれない、うん、きっと、そうだ。
と、思うからこそ、コロナがきっかけでとても焦ったり、いっぱいいっぱいになったりもしたりして。
でも、そうして、「今」や人や人の縁などの大切さを身に沁みて思うようになったりもして。

映画『彼女は夢で踊る』は、
そんな、ストリップにかかわる人たち愛する人たちそれぞれの、
想いと、「夢」が(あ、この「夢」はいろんな夢)、なんか、なんつうか、
マジで、奇跡みたいなかたちでかたちになって、
なんとまあ(コロナのせいで遅れたけれど)全国公開までし、
え、うわあ、こんなに話題と人気となって。
なんかもう、やっぱり、劇場のこの空気にハマっている人、
ここがなくてはならなくなった(仕事的にも、精神的にも)人たちにとって、
大きな意味で「自分のこと」のように思える映画なのではないか、と思う。己も含めて。

あわあわと、はらはらと。
幻想的で、詩的で、抒情的な映像に、
現在と過去がふわりふわりふらり交錯する、ふしぎな構成。
え、これは、夢?いや、テキーラを呑んで酔っている際にみた何か?
誰の夢? 社長の夢? みんなの夢? でもこの夢は、夢じゃない。
舞台となった広島第一劇場は実在する劇場で、
でも、いつ閉館となるか、現在もわかっていなくって、
社長は実在していて、
こんなに男前じゃないけど、
初めて会うとあの広島弁にちょっとびっくりするけど、
てか、パジャマ姿の時とかもあるけど、実在していて、
イケメンという意味で男前ではないかもしれないけれどでも超男前で、
ほら、今日も、劇場には踊り子さんたちがそれぞれそのもののステージを見せてくれていて、お客さんがたくさん、たくさんで。
でも、でも……。
やっぱり、〝胡蝶の夢〟なんやろうか? いや、これは、現実だ。
夢の中のようで、でも、夢にしたくないし、
これからも「夢でもし会えたら」で終わりにしたくない。この劇場も、他の劇場も。

あなたには、大事な場所がありますか。
大事な人が居ますか。
守りたいものがありますか。
今、守りたいもの・ひと、過去に、消えて行ったけれど今も胸の中にいるもの・ひと。
夢に出てくるもの・ひと……。
この映画は、ストリップというテーマとしては勿論、
誰しもが心の中に持つそんなものやひとや場所を想わせてくれる映画だと私は感じます。
ストリップというくくりだけでなく、そういったひと。
……って、それって、どんな人にもすべての人にも、あるんやないやろか?ねえ?
甘さも楽しさも、そして苦さも知る、「大人」なら誰しもが。

だからね、ストリップという世界が大好きなうちの一人として、
こうして多くの人がかかわる映画というかたちとなったのだから、
いろんな人の目にとまればいいな、ととてもとても思ったりする。
そして、まだこのしあわせな空間を知らない人が、
「あ」「お」って思って、現実の、近くの、劇場に足を踏み入れてみられたら、素敵やなあ、なんてことも。思ったり、いや、願ったりする。
実際、この映画で興味を持って劇場に来る人が少なくはなく増えているとも耳にするし、
それって、めっちゃ素敵やな、なんて。

先月。
私にとって、初めて大好きな踊り子さんを観た劇場で、
だからこそ守りたい劇場で、「開館記念」と呼ばれる特別興行の間、
なんとまあ、めっちゃお客さん多くて、立ち見までいっぱい出た日、私はちょっと涙が出た。
守りたくて、彼女が出ていない間もちょくちょく通うようになり、
この度のコロナで更に危機感を抱き、さらに通うようになった劇場で。
だって、本当に少ない時は一桁とかの時もあって。
だからね、大勢で、みんな笑顔で、って時、涙が出た。
なんか泣きそうになって思った。
「ストリップは大丈夫や」
いや、大丈夫じゃない。
大丈夫やないねけど、でも。でもでも。
映画の舞台となった広島も「閉館詐欺」だなんて言われながらも、まだ営業している。
たくさんの人々が舞台で客席で救われている。
広島も、他の地の劇場も、皆、皆。
なぜ人はストリップに行くのかな。
まわりのおっちゃんらが言うてた。
「おっちゃんたちはな、恋してるねん」「俺の居場所や」うん。うん。うん。涙。
花は枯れて?散っても、花のにおいは私たちの心の中に残っている。
でも、やっぱり、ずっと見ていたいやん、花。無理だとしても。いや、もしかしたら無理ってどこかわかっているから、でも、だから(かも)。
大きな声で全力で薦めることが正しいことかどうかはわからないけど(これは悪い意味じゃない)
いろんな人がこの世界のしあわせさを経験してほしい、一緒に行きたい観たい。
だから、もー、ずっと詐欺でええやん、どこも、いつまでも。
映画の全国公開も延びて延びて、で、今、ブレイクしてるやん。
人間は繊細で、でも逞しくて、でも繊細やけど、皆、皆、生きてて欲しいやん。

どうぞ、「劇場がいつまでも続きますように」
皆、皆が、らしく、元気で、楽しく、ちょっとでも楽しく、日々を過ごせますように。
踊ろう。踊りましょう。
生きることは、しんどくって、でも楽しって、儚くて逞しくて、逞しくて儚くて、だから、こそ。皆で一緒に。

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↑映画の舞台となった、広島第一劇場

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◆大好きな〝劇場〟と人と人たちのこと
◆旅芝居スケッチブック
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ブログ「桃花舞台」、のここ【トップページ】にご挨拶など掲載しました。
パソコンから見ていただくと右端に簡単な経歴やこれまでの仕事など書いております。連絡先も。
大阪の物書きでございます。
大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
下町・大衆文化も好きです。
女2人の立ち呑み旅、連載中。現在第8回(先月11月に最新話更新)。
http://tabistory.jp/cat_story/cat_sakabawoman/
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