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旅芝居・「老侠一人」と「円蔵と忠治」から/君死に給うことなかれ②

旅芝居の舞台にはその人の人生も感性もすべてが滲む。
だからだろうか。
中でも老いること、老いてゆくこと、
舞台に滲む、そのさまや境地から目が離せない。
それこそ時分の花、まことの花、ではないですが。
あと何年、あと何年、などという曲も舞踊曲として流行っているけれど。(過去記事はこちら)
まだ舞台に立ち続ける日々、どう過ごすのか?
残りの人生何をするか出来るか?
キラキラとした若さが持て囃されることが多い芸能だからこそ、かもしれない。

旅芝居の芝居での、「かっこいい男」が「かっこつけ通そうとする」物語が私はつまらないと前記事に書いた。
裏で泣いている人がいる。死に給うことなかれ、死なせ給うことなかれ、だ、と。
そんな芝居を多く(なにも疑わずに)演じている旅芝居の世界に対して、書いた。

でも私には、「ヤクザ」「男であること」を通そうとする芝居で好きな芝居がある。
『老侠一人』という芝居だ。
『縁を結ぶ糸車 老侠一人』
2002年1月24日、九州は小倉の西日本健康センター・バーパス
(バーパス松劇場)で行われた座長大会で上演された。
構成/演出・美影愛、主演・市川市二郎、下座・市川市二郎劇団(現・劇団三桝屋)。共演は現在の大衆演劇界の重鎮やスターたちほぼオールキャスト。(※キャストや完全台本(本人監修)あります、知りたい方はご一報下さい)
旅芝居の歴史に残る、伝説の芝居と言っても過言ではない。
正直に言うと私は実際に観られてはいない。でもこの芝居を立てた本人から何度も話を聞き、映像を観せていただいた。
旅芝居の芝居にもこんなに深く沁みるものがあるのかと思った。
3時間を超える芝居となったが、観る人のうち、ひとりとして席をたった人は居なかった。とは、この芝居に大きな影響を受けたと今も語り、劇作の道に入られている関係者氏の言葉だ。

櫛田の源三という侠客を描く。
春吉一家、春吉の吉五郎という親分に仕えた彼が、
春吉の親分の横恋慕からの策略により、妻を殺され、ちいさな娘とも離れ離れとなる。
娘は殺されてはいない。しかし、かかわる人々の縁により、離れてしまい、
さらに時代すら移り変わってしまう。誰もが頭に髷を押し抱かなくなる時代へと。
娘を探し、探し、老いた源三は、長崎の娼館へと辿り着く。
娼館の主はかつて互いに尊敬をし合っていた同業の友だった。
結末は言わないし書かないが。
この芝居を立てた当時としては「異端」だったそのひとの
良くも悪くも「キザさ」が小道具として全面にそしてラストに生きる、光る。

オリジナルではある。
しかしこれもまさに「男が男として」という侠客物の芝居だ。
旅芝居や、“その世界”(という言い方でごめんね)、で生き、演じてきたその人が立てた芝居だ。
でも、勧善懲悪のようで、そうではなくて。
登場人物すべてに想いがある、誰もが完全に悪人とはならない。
ひとりひとりの人物造形の深さや深みがあり、丁寧に描かれている。
(出演座長の中にはこのことに文句をつけた某氏もいるそうですが)
(今同名タイトル(に近いかたち)で演じられている芝居(トップ写真はそのカーテンコール写真)は今やっている人のやり方なのでそうではないですが)
その上での、痩せ我慢の究極的な美学、「誰かのために」、
だから、だからこそ。皆が、哀れと紙一重、
登場人物、この物語の中で生きる者たち〝哀れとかっこつけ〟が際立つように私は感じたのだ。

痩せ我慢の究極的な美学、「誰かのために」、
その先にあるのは死であり滅びかもしれない。
前記事にも書いたが、
私はその姿や姿勢が正しいか間違っているか断言することは出来ない。
でもそれを美化したり哀愁だなどというこれもまた美化した言葉を使いたくはない使わない。
生きようよ。生きていてほしい。生きねば。皆で。
みっともなくても、ぶさいくぶかっこうでも。
永遠の命などないと知ってるからこそ。
かっこつけているという無様さ、無様でもかっこよさ、
まっすぐにしか生きられないその姿たちを舞台上の物語りの中でも、劇場での生き方生き様でもみているからこそ。
あれら物語の中の人物たちの姿はだからつまりやはり「理想の姿」なのかな、そうか、そうだよね。
生老病死、人間にとって避けられないテーマだからこそ、でもそれでも永遠に「誰かを」、なのだよね。
だから人は近しい人に自分の生きた証を残したり継がせようとしたり、
その想いを例えば、名や、かたちや、で。襲名だったり、継承芝居だったり、なのかもしれないね。そうして、生きてゆくのだろう。でも。それでも。それでも。でも。
皆で生きよう。生かせ合おう。そうあれれば。

ずっと言い続けてきたけれど、
オリジナルではなくもはや「古典」の芝居の1本となった芝居に、
こちらも私が一番と言ってよいくらい好きなものがある。
『旅鴉 日光の円蔵と国定忠治』という芝居だ。
前記事で私と「問答」してくれた役者、こちらも現在の九州劇界を代表するベテラン氏が言うには、
「親父の代からやりよったけん、いつどこの誰の芝居か知らん。もともと大舞台でやった芝居から」
でも、タイトルは違えど多くの劇団(血や系列系統は違う劇団でも)で今も演じられている。
赤城の山から落ちのびる道中の忠治と、忠治を侠客に育てあげ後に手下となった円蔵の話だ。
侠客ではあるが古来からの物語で「ヒーロー」とされてきた忠治、その旅の末路。
円蔵が再会をした忠治は、ヒーローと讃えられた結果、追われ、
乞食同様となり、食うものにすら困り名刀まで売っても生きていた。
円蔵は先程出会ったヤクザ志望の若者に言う。「この男は忠治を語る偽物だ、斬れ」
そうでないとこの男のために死んでいった者たち、「俺が忠治だ」と身代わりとして命を落としていった者たちが浮かばれない。でも……。
と、ここからは劇場で実際に観ていただきたいのだが。
私は、この芝居のテーマは、矜持と、でも、「生きること」だと思っている。
生きていてほしい。長くはないのだろうけれど。生きて。生きろ。
なぜなら他ならぬ「あなた」だから。「あなた」として。
この芝居でいつも円蔵を渋格好良く演じていた彼はその後病に倒れた後、リハビリを経て復帰、今は忠治を演じているという。
観に行かなくては、と思っている。さまざまな祈りと、共に。


■omake①■
今回の記事は先日のこの投稿とセットです、
先日こちらに書いたものももしよろしければ(真剣)

■omake②■
この芝居を立てた役者のこと、2記事。(当時は私もちょっと心的距離感近すぎましたね、と、今、笑い&苦笑いではありますが。ふふふ。でも、ほんま、すげぇファントムな役者さんです。過去形じゃないよ、また観たいね皆で観れるよね観れるはず!)

■omake③■
とは別に、もうひとつ、最後に引用した芝居。 

円蔵と忠治のはなし。ずっと好きな芝居です。よく観ていた某劇団のものは、そのセンス光るBGM(大事。ほんとに大事。かけ方もタイミングも回数も含めて(!))も、ホントに、好きです。

■omake④■
旅芝居記事はこちらにまとめております。なんやかんやで書いてますね。わはは。

次回も芝居記事が続きます予定です。(たぶん今月観たこのお話についてですよ。(名作!))

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大阪の物書き、中村桃子と申します。
構成作家/ライター/コラム・エッセイ/
大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
普段はラジオ番組の構成や資料やCM書きや、各種文章やキャッチコピーやら雑文業やらやってます。
現在、lifeworkたる原稿企画2本を進め中です。
舞台、演劇、古典芸能好き、からの、下町・大衆文化好き。酒場好き。
いや、劇場が好き。人間に興味が尽きません。人間を、書く、書きたい。

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旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業。
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担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
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momo|桃花舞台
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