みんなの場所をいつまでも~劇場へ行こう~
昨夜ある旅芝居の劇場がちょっとしんどそうだという話を友人から聞きました。
大きな劇場ではありません、地方の小さな劇場です。
私は昨日旅芝居ではない某劇場に行ってきたところでした。
小さくてちょっとカオス感もあり素敵やなあと思う劇場です。
大好きなステージを観て客席でたくさんのおっちゃんたちと一体となったように感じて、
改めて「この場所たちがなくなってほしくない」「みんなの大事な場所やなあ」って。
超Happyな気分と共に強く思ったその帰りでした。
だからね、余計に考えこんでしまいました。
日曜の夜中でしたが友人とのライン会談となりました。
出た結論は超シンプルですがこれでした。
「足を運ぼう。劇場へ行こう」義務じゃないよ。だって楽しいもん。
不景気な時代です(嫌いな言葉やけど)。
旅芝居について言うと興行師はやはり「お金」のことを考えるようです。
そうよなあ、遊びじゃないもんなあ。でも、考えすぎてる気もするなあ。
(そしてちょっといろんな私情も入りすぎやけど。これも「距離の近さ」のせいやな)
さらにメディア(訳わからんSNSメディアも含む)では
「今、大衆演劇がブームです」「素晴らしきこの劇団をピックアップ!」
一部のものだけがそうなって、ではその他は?
(まあ、だからといって長く観ているファンにありがちな
人気劇団じゃないところを観る自分に酔っているみたいのもなんか気持ち悪さあるけど)
旅芝居に関してはSNSについてもちょっと思うことがあります。
舞台(ショーのみ。お芝居は×)の写真を自由に撮っていい
旅芝居・大衆演劇の客席ではスマホを片手に観劇をする人が多い、
帰って「レポ」したり友人同士で共有するのもファンの楽しみのひとつになっている。
もろもろ諸刃の剣やなあと思います。
ネットで見たらそれだけで観た気分になってしまったりとかさ。
もちろんネットをみて行ってみようと思う人もいるだろう。けれどネタバレもある。
勿論どうしても行けない人にとってはめちゃくちゃ嬉しいことですよネットでみれるのは。
けれどそこだけじゃないやないですか。
私的にはいい意味で〝グレーゾーン〟が(も?)魅力だと感じる世界なので
熱狂的かつ盲目的なSNSレポはちょっと怖いと感じる時も多かったりもします。
悪意はなくともそのSNSはいいことだけじゃなく
大好きなものの足を引っ張ることになりかねない?!ことも多いかも?!
皆で距離感や魔力に目が眩んでる!という「沼」な自覚をちょっとずつでもして、
冷静になって1歩1歩(1指1指?)進んでゆきたいなと思います。
これは書き屋として自戒を込めて常に考え学んでいきたいことでもある。
「書を捨てよ、町へ出よう」じゃないけど、「SNSばっかにならんとこう、足を運ぼう」?! いいねやRTの数ばかりにとらわれずに、さ。
「自分たちだけの劇場(役者)」みたいにしないように自覚をしながら。
これも前の「素敵なことであり怖いこと」に書いたよく考えることですが、みんなで観よう。
生の舞台の素敵さはそりゃあもうなにものにもかえがたいものだと客席で思います。
舞台の上の皆からたくさんたくさんのものを受け取り、
きっと私たち客席も舞台の上の皆へなにかを送れている(はずや)と信じたい。
勿論どうしてもな事情でなかなか劇場に行けないという人やことも多い、
私だってそんなときも多いしこんな稼業なのでいつも駆け込みですし能書き多く足重いし。
私どうこうじゃなくもっと切実な人だって多いでしょう。
でも理想論だけれど出来るだけ出来るだけ出来る時に。
みんなで。みんなのために。いろんなところへ。
自分だけじゃなくみんなの大事な場所をなくさないために。
なくすのは私たちで、残すのも私たちなんじゃないかな。そんなことを思います。
友人のホームである劇場が、みんなの大事な劇場たちがどうぞずっと続きますように・・・。
ってなことを私もSNSに書いてる訳ですけどね(おいおいトホホ)