劇場という聖地(power spot?! )/再開後、改めて感じた劇場の力
大好きなジャンルの劇場たちが先月~今月あたまくらいから再開し始めました。
うん、先週くらいからちょっと身近になってきたんやけど、
今週、数日前からすげーリアルに、自分事として(笑)、実感させてもろてます。
たぶん私はこれから8日間ほど楽日まで頭がウワァ~ッで使い物になりません(普段以上に)。
アホやから一回の劇場行きで数日噛みしめたり考えたり、
なんか無駄に反芻する癖とか頭ええ訳でもないのに、
いろんなこと考えたり想像したり思い出したりとかなんやかんや。
8日ほど経ったらそんなをまとめてもうちょっとまともに言葉にしたい??出来る??かな。したいです。(※追記、書きました。ちょっとちゃんと書いた。【信じる、守る、日々は続く ~6月、劇場再開。〝推し〟のステージと劇場で感じたこと・考えたこと~】)
いや、これはやはり私のLifeworkの中に?? などいろいろ思いますが、
今はただ、これだけ、ちょっとだけ書いて置いておきたい。
劇場って、
特に私が今興味を持つ……どころじゃないや、
私にとって(気持ち的に)なくてはならないものになっているちいさな劇場たちって、
ほんまに生命力と気持ちと愛(?)溢れるすごい場所やねんなあ……!
ずっと思っていたことを本当に身をもって実感しまくっています。
もちろんもちろん綺麗事だけじゃなくて
欲とか業とか(悪い意味だけじゃなくいい意味でも)もいっぱいだったりするのでしょう。
でもでもやっぱり本当におおきな気持ちたちの溢れるすっげー場、場所、なんやなあ、って。
舞台から、
そして舞台だけじゃなくすべてのものやひとから、
ものすごい、powerとか愛とか、生きようとかがんばろうとか、
生きててくれてありがとう、生かせてくれてありがとう、みたいな、
そんな気持ちをこんなにももらえる場、すごいなあ、って。
私はバカだからつい舞台の内容のことに夢中になってしまいがちです。
今、改めて、「この人のつくりだし見せる舞台がほんま好きやなあ」と思わせてもらえる女の子がいます。
こんなにひねくれものでうるさい私が
なんでや、なに観ても、いつどれを何回なに観ても、そない思わせてくれる方です。
体で描くメッセージ、想いと物語をもっと汲み取りたい、受け取りたい。
(そこまで変に深読みとか重いしうっとおしいし、
もしかしたらそんな観方も上からだったりもするのかも、それはあかんなとか常に自問自答するのだけれど!)
自粛あけ、観られて、ひとつのステージを観終わったあとの、
気持ちの高揚とか浄化されるような感じとか、
さらにそのステージを作り上げるに至る積み重ねとか気持ちとかレッスンとか?
を思うとさらに、もう、ウワァ~、となる。
毎回観終わって言葉が全く出てきません。不審者ですマジで。あかんがな。でもしあわせ。今回もhopefulでpeacefulでLIVE(にわしは勝手に感じた)なステージに泣きました。自粛後の、いろんな気持ちが溢れ滲むような、せやから輝いているような姿に見えて、ウワァ~、でした。嬉しすぎる好きすぎる。
でもでも、それと同時にね。
それだけじゃなく、劇場ってすごいなあ。
さまざますぎるさまざまな人たちが同じ舞台を観て、
一緒に観て、みんなで観て、なんかちょっとめっちゃええ顔してる様にグッときます。
いろんな考え方、目的、
そりゃこれまで生きてきた環境とか生き方もちゃうねんから、
きっと観方や受け取り方もさまざまで
ひとりとして同じ人は居ない。
そんなみんながええ顔で。
だから舞台に立つ子もええ顔になって。
舞台に立つ子がええ顔になるから、みんながまたもっとええ顔になるねん
そんな単純かもやけど深いことが互いに両者に皆に力を送るんや。
日々生きる力。自分を肯定してくれる力。自分らしく生きる力を。
劇場のかたすみで、自分もそないなりながら、グッときます。
すごいなあ。
素敵やなあ。
うれしいなあ。
しあわせやなあ。
生きてるなあ!
嬉しくてありがたくて楽しくて嬉しくて。
なんかもうワァ~です。
ああ、この感覚、仕事がなんも手につかない(あかんがな)感覚、ひさしぶりやなあ。
コロナ騒動で2か月ほど劇場たちこのジャンルたちすべてが自粛だったから
なんだかさらに感慨深いのだと思います。実感しています。
さらに、グッときたこと。
皆が皆ぜんいんで「守ろう」としているその様です。(前にも書いたけど)
みんな、みんながそのとてつもないpowerを身をもって実感しているから、
なくてはならないからこそこの場所を「守ろう、守りたい、皆で守ろう」としている。
まだ決して「オールオッケー大丈夫!」じゃない状況やけど、
だからこそ皆が楽しみながらも、自分に出来ることを考え、ちょっとでも…って。
元々私の好きなハマっているこのジャンルは法的にだったりいろんな面で
とてもグレーだから(?)こそ皆が「守ろう」としているようなところが大きかったように見えて。
そこに感動と感銘を受けた、学んできました。
けれど、今回のコロナの流行や騒動を経て、
「人が寄り集まる場」そのものだからこそ危機にある、ということを受けて、実感して、
舞台に立つ人、劇場にかかわる人、客席のひとりとして劇場に通う人、皆が、
楽しくて、なくてはならない場だからこそ、
推しのために、劇場のために、守ろう。って。
具体的なことも勿論、ただ、足を運ぼう、とか、そういうのも含めて。
尊いという言葉は嫌いなんやけど、今、これ以外の言葉がありません。
これからも、いろんなことはあるやろうし、人はいろいろやねんから、
ほんといろいろなことがあって当然なんやろうけど、
劇場、〝〟つきでいうところの〝劇場〟はきっと大丈夫……
そんなことを信じられるような気もします。
劇場にいて、たくさんの人の想いに触れ、
己も舞い上がりながらもいろんなことを感じながら。
いや「大丈夫にする。皆でする」みたいな。
みんながおるから。
ええ顔している皆と自分に気付き、そんな気にすらさせられます。
いろんな事情があってまだ劇場に行けない人だってきっと多いやろうし、嫌な気持ちにさせてしまったらすみません。
己だっていつどんな事情で行けなくなるかもわかりません、
いつもすべての物事は他人事ではありません。
いろいろもうちょっと具体(具体すぎないくらいの具体)で書きたいけれど
今はただ、これだけ、ちょっとだけ。置いておきたい。置いておかせて下さい。
様々な皆に、よろしくとありがとうを。
この先きっと会えるいろんな世界のいろんな人にも、どうぞ、よろしくありがとう。
私も、もっともっと、皆に、なにかを送らねばなりません。
もうほんと頭ウワァやけど、ちょっとでも、ちょっとずつでも。うん。
まだまだです。わしももっと、もっと、力を。