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それはサーカスのようなもの

中島らもを知ったのはいつ何からだっただろう。
エッセイからだったか劇団からだったかきっかけは忘れてしまった。
だいたいわたしのサブカル知識というか面白いと思うものは一世代ほど上のものだ。
兄や姉や年上の親戚が居た訳ではないのになんでやねん。
小劇場だの演劇だのプロレスだのの知識や好みがこうなった理由はわからない。
 
中原中也のあの詩をモチーフに
満州事変あたりからその後のサーカス団を舞台に
やさしくてばかばかしくて懸命な人々を描いた舞台
『ベイビーさん ~あるいは笑う曲馬団について~』を戯曲で読んだときは涙がこぼれた。
なんてやさしい……は、ちょっと違うか。
なんて心のきれいなひとなんだろうと思った。
これもちょっと違う。なんか、違う。
そのひとの姿を劇場中継で中華活劇だかなんだかの舞台で観たときの衝撃たるや。
文鳥の被り物にあのサングラスで都はるみの『アンコ椿は恋の花』を歌っていた。
夜中に観た劇場中継だったからくらくらした。
あたまのおかしなおじさんは目の毒脳の毒というか今よりもずっと堅物で理屈っぽかった無知な高校生には意味不明でドン引きだった。
 
でもそんなおじさんが書いたものはすべてなぜだ、やさしい。
いや、やさしいじゃない。
やさしいという言葉はなんだかぜんぜん違う。
でも、なんや、なんでやろう。
繊細で、嘘がなくて、わけがわからなくも、
ふざけていても、ふざけているのに、真摯に思えた。
真摯ではないかもしれない。
でも、危いほどにまっすぐに感じた。
ばかばかしくてアホなのに、芯のあるエッセイ。
たくさんたくさん読んだ。全部ブックオフだけど。
ほぼほぼすべてくだらない。与太話だ。
でも、おじさんは誰も見捨てていないな、と思った。
相方(以上の存在)である女史のエッセイも読んだ。
こちらは上方芸能や演劇やの人びとやいろいろが散りばめられているし、
主張もしっかりしている。
でもね、どこか、何かすこし引っかかるものもあった。
一方、あたまのおかしなおじさんの書く物は、しょうもなくて、
どうしようもなくて、でも、炊きすぎたおでんの出汁のように沁みた。
 
しばらくして手に取ったのが、『今夜、すべてのバーで』だった。
この頃は、文鳥姿で都はるみを歌うでれっとだらっとしたおじさんが、
なぜ「そんな感じ」なのかとか、
なぜ「あんなものたち」を書けるのかは知っていた。
あんな小説を、わたしは知らない。
言いすぎだ。
でも、あれはすごい。
俗に「アル中小説」だなんて書かれたり言われたりする。
まあ、ほんとそうだ。その通りでしかないかもしれない。
そのとおりではあるのだろう。
が、そうでしかないかもしれないが、そうじゃないと思う。
生きること、生きていること、
生きるということ嫌になるほど目をそらしたくなるほどのそれが、
肚からの言葉で、「物語」にされる。
なんてリアルで、なんてうつくしい言葉で書いた小説だ。
それ以外言わん。言うとうそになるというかうそくさくなる気がしてならん。でも、そう、うつくしいんだ。やっぱりなんか言葉ちゃうような気もするけど。
 
さいきんのわたしは「うそ」とか「うそっぽいもの」とか
「媚び(のようなもの)が滲むもの」が
今まで以上に信用ならんというかキモいなというか
ほんまに嫌になってきて、
つまりだから肚を割っている人に対してだけは
口がさらにとても悪くなってきたり、
とはいえ元来の人見知りは加速したりのいろいろである。
でも、なんかもうそれでええやというか、
それでいこかねえというか(えー)、
そのようなことも昨今大切なひとたちに思わされもしていて、
でもそれでも、そんなではあっても、
これほどまでの、リアルというか、うつくしさややさしさには程遠い。
ぜんぜんだ。あ、でも、程遠くてええか、ええんか。ええ。うん。うーん。
 
らもは、すごい。
ほんまに、すごい。
 
あたまがよすぎたのかもしれない。
やさしすぎたのかもしれない。
あたまのおかしなおじさんは。
どれもちがう。
そんなええもんでも、では、ない。
でも、それを、そういうことたちや、ひとや、ひとたちたちを
例えば「弱さ」だとかいう人間にはわたしはなりたくないと
とても思っている。
そう言ったり思ったりする人もいるだろうし、
言うこと思うことを否定する権利は誰にもない。
が、わたしはそうはなりたくないなと思うし思っている。
弱くないしな。そもそも。
 
冒頭で書いた『ベイビーさん』のキーとなる、
サーカス団に居る謎の動物ベイビーさんは不思議な生き物だ。
見る人の見たい姿に見える。
団長はドードーさんだ。
「ゆあーん」と「ゆよーん」しか言えない。
いや、言わない。理由はある。
「私たちの人生がサーカスの空中ブランコなら劇場は安全ネットのようなもの」
これは尊敬する方、いや、友人の格好のよろしい名言だ。
またキザなこと言うてはるわと笑うのだが、わたしはとても好きだ。
なんだかいつも心に残っている。いや留めている。
劇場は、劇場なのだが、必ずしも劇場じゃなくてもいい。
あなたの好きなものと置き換えればいい。
誰にとってもそんなものがあるだろうし、あったらいいなと思うし、
例えばらもは誰かにとっての結構おっきなそんなものなのかもしれないし、
亡くなってもきっとそうなんだろうなと考えたりする、
やっぱりすごい、出汁沁みすぎ。
そして、わたしは、それは、わたしにとってだけじゃなく、
劇場じゃないかなといつも考えている。
うん、これもこじつけだけど。
人間は愚かで阿呆で、でもきっとぜったい、うつくしい。そんなことないか。ないけど。ゆやゆよん。

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構成作家/ライター/エッセイスト、
momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。
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momo|桃花舞台
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