大衆演劇、ある「飢餓海峡」のこと 旅芝居は生きること
「飢餓海峡」はお好きですか。
私は好きです。
けど石川さゆり歌う飢餓海峡は嫌いです。
曲そのものは嫌いではありません。
が、あの曲のフィーチャーされ方が嫌なのです。
なぜなら私は水上勉の原作を読んだ時の衝撃が忘れられないから。
そして映画版の左幸子の演技がすごく好きだから。
しかし旅芝居・大衆演劇の舞台でよくよくモチーフとされます。
やめてくれませんか。爪。爪。とそこばっかり言うのは。
原作を読みも調べもせずにリスペクトもなしに
訳のわからん拵えで踊ったり薄い感じで料理するのは。やりすぎて下世話なだけになるのは。
それを「きゃー」と言うのは。
あ、いや、私は水上勉の親戚でも信者でもないのに生意気なのですが。
ずーーっとそう思ってきました。
呑み屋の席で喧嘩もしました。
当時仲良くなりかけてたお客さんと。
「アタシはいいと思うけどなー、ああいう踊りでも」
「なんで?それは●●さんがあの役者さんにお熱だからやろ?
私は原作無視してあんな格好で踊るのは好きじゃないねん」
(※なんやったかな。花魁姿やったかな。仮面とっかえひっかえやったかな。
覚えていないのですが)
すみません頭が固くて。でも今でも嫌です。
これは飢餓海峡だけじゃなくて、
私は曲や原作を大事にしない舞台がどうしても嫌です。すみません。
(わしも(偉くはありませんが)作家だからかな、と最近気付いたけど…って、生意気!)
そんなことをとある役者に話したことがあります。
当時ちょっと因縁ある人でした。
とはいえ、変な関係はありません。ある訳ありません。
だって私はその人が嫌いだったから。軽蔑していたから。
言い訳ばかりし、ただ目の前のお金のことだけを見ていました、
しんどかったんやと思います。仕送りもしなあかんし。
そのうち、好きではないが、情がわきました。
これはただ単に私がファザコンだからだと自覚しています。
(※いろいろありましたが父は幾年か前に亡くなりました)
目の前のお金しか見ていなくて。
お花(ご祝儀)をくれる人が来た時しか「やる気スイッチ」を入れなくて。
勿体ない。うまいのに。でもしんどいねやろう。
だから「今日は4割(の力しか出してない踊り)でしたね」
「うーん、5割かな」みたいなムカつく会話をしていました。
しかもお花をくれる大きなお客さんの来るときはその人の好きな曲と好きな女形の拵え、「そればっかり」。
その曲と拵えは全く似合っておらず陰口を言われたり笑われたりもしていました。
ハッキリそれを言ったら「じゃあ俺はどうしたらいい」と言われました。答えられませんでした。
でも芸のある人でした。なのでちょいちょい話したりしていた。
お互いどうでもよかったから話せたし聞けたのだと思います。
彼がある時「本気出して踊るわ」と女形で踊ったのが『飢餓海峡』でした。
「本気出して踊るわ。でもな、石川さゆりの通常バージョンも、
芝居がかったバージョンもいらんで。(※「歌芝居・飢餓海峡」←石川さゆりのライブで行ったもののCD化。台詞のような芝居のようなバージョンの。役者さんよく使いますね)
ギター1本のアコースティックバージョンがあるねん。あれにする。
通常バージョンの最初のイントロのやかましさが俺的に飢餓海峡じゃないから」
あ。
お?
そうして踊った1曲は・・・
ああ、飢餓海峡や、と思いました。
ああ、これが飢餓海峡や。
漕いでも漕いでも毎日毎日。
若い時から色々あってワルいこともしてだから今ここにいて。
それでもそれでも毎日毎日。
最初はとある地方のセンターで。
もう一回目は偶然(?)都会の劇場で。
センターではお客さんは少なかったけれど。
都会の劇場で、大入りの中、踊ったそれ。
劇団づきのお客さんにも劇場のお客さんにもお見送りで口々に
「今日!めっちゃよかった!」と言われていたその顔は本当に誇らしそうでした。
漕いでも漕いでもそれでもそれでも。
でも客席にはみんないる。あと、遠いけれどご家族もいる。
あ、ほな、飢餓海峡じゃないね(笑)
でも、私にとって、忘れられない飢餓海峡です。
たまにふと思い出します。
*
飢餓海峡✕大衆演劇・旅芝居のお話。
過去記事。如何でしょう。
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