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日々の中で例えば誰かが想いや気持ちを込めて書いた文を読むととても力をもらう。 好きな作家や書き手の本などを読むことなどは勿論だが、 誰かが自分のアカウントなどで例えば好きなものやことについて綴る語るものにも、とても。 そこには色気のようなもの、つまり人間力や人間が滲み漏れてくるような気もして、 いつも知るそのひとの深いところに触れたような気持ちと、 いつも知るのに知らない深いところにも触れられたような気持ちにもなり、 尊敬と共に、また会ったとき会えたときに話そう話したい会
「皆様にとって素敵な一日になりますように」 ある日地下鉄御堂筋線の朝の電車に乗っていたら車内アナウンスで流れてきた。 なんやねん。 行く度にガリバー旅行記みたいな気分になる某大型量販店でも 同じようなこと言う店員さんが居たことを思い出した。 「今日も素敵な一日をお過ごしください」 このときは、このときも、帰りのチャリを漕ぎながらずっとめっちゃ考えた。 どういう意味やねん。 そもそも素敵ってなんやねん。 この言葉って勿論いい意味。 でも広すぎる言葉やなあと思うことも
それはいつもそこにあるのかも。 ただ皆が素通りするだけで。 最初は気にしても次第にあたりまえというか気にも止めないようになれどもそれでも。 すこし離れるが遠いわけではない場所には有名な“太陽”がある。 こちらには有名だからか皆が押し寄せる。 でもすこし離れたところにあるものを知る人はそう多くはないようでいつも誰もいない。ほぼ一対一で向き合うことになる。 訳わかんなくてこわくてキモくもあり得体が知れなくもあり、 でもでもとにかくすごく伝わるものというかすごいことやものであり
清濁併呑という言葉を自分で使うことがあまり好きではない。 なんだかそれは言えない言い切れないことや言い切ってはいけないかもしれないことを自分の中で言いきれたような感がするというか、そんな気になりもするから。 でも、答えを一方的に「こう!」と決めつけ押し付けられることは、も、本当に好きではない。違和感を覚える。時にこわさも思う。 ほなどうやねんどないやねん。 だからやはり「一緒に考えていきましょう」なんじゃないかと常々思っている逃げや日和見ではなく。 これもなんかずるい
また振り返りになってしまうのだけれど、貼っておきたくなった。 またまたドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』を思い出して、 仕事のBGMがわりに観たりもしているからかもしれない。 ジェーン・スーの言うことや書くことは時に「んー?」にはなったりもする。 (でも結構読んでる) ヒグチアイの歌はいいなと思いながらも時にクドいというかあざといなぁにもなる。 (でもこの曲はすげえと思うジワッとくる) オジサン役者好きなくせに國村準はなぜかあんまりそんなに刺さらず「んー?」が多い。 (で
知らない人によく話しかけられる。 当たり前というか誰でもあることだと思っていた。 どうやらそうでもないらしい。 この癖(?)故にいろいろ巻き込まれたりもしてこなくはなかった。 全部(私的には)笑い話である。人見知りなのに! 何年も何年も前からの芝居仲間は言う。 「ないで普通そんなん。いっつも誰かに話しかけられてるやん」 そうかなあ。 別の観劇仲間にも言われた。 「なんかめっちゃ仲良くなってる知らんおじさんと」 なってはいない。 アホっぽくて隙が多いからだろう。自覚はしている。
きのう昼走って駆け込み「ちょっとだけ休憩を」と思った出先のカフェで、 よし一息つけたと立ち上がろうとしたら隣の席に年配の上品なご婦人が座られた。 目が合ったのでお互いどちらからともなく「ふふふ。どうも」なんて笑い合う。 ふと見ると。 彼女の羽織っておられたカーディガンの下のTシャツの柄がE.T.だった。 自転車で月夜を飛ぶあのシーン。 あの夜空の色。 自転車の2人。 いや、2人という云い方は正しいかわからへんが。 思った。 ああなんか人間ってええな本当にええね
朝、トレンドになぜか杉浦日向子の名前があがっていて、「わぁ」とか「ほぉ」とか「あ」、つぶやきたくなった。 江戸風俗評論家で、漫画家で、エッセイストで、 はやくに「隠居」をされ、はやくに亡くなられた大好きで憧れの文筆家。 以前関わった某演芸評論家が別の人に「この人は、杉浦日向子的ところがある人だから」って言って下さった時、ほんとにうれしかったことなどもあったが、おこがましすぎるすぎまくる。 江戸の漫画を描かれ、江戸の風俗を伝えておられた。 が、書かれる描かれることも
4年前に書いた自己紹介みたいな記事を読み返したら面白かったというか 「ああ、わたし(わし)やなあ」と笑って、 笑いながら拳を握ってなんだかアツくなったので載せます。 よければお付き合いいただけたら嬉しいです。 ここでは、旅芝居・大衆演劇という風に(切り口)書いているけれど、 旅芝居・大衆演劇はいつも言うが〝おおきなものいろんなものの縮図〟だと思っていて。 昨日の今日というか社会や人間を皆が考えたり考えたりまた考えたりする昨今。 個人的にもちょっといろいろばたばたと
朝からキヨシローのことを思い出していたというか思い出さされた。 ほぼほぼ全曲好きだ。 世代じゃないから好きなのかもしれない。 ずっとずっと前にキヨシロー展みたいのに行ったら、 近所(当時)の呑み屋のロッキンな店長とたまたま会って、 「え、好きなんですか。若いのに!」「大好きです」からのそれまで以上に仲良くなったりもした。 聴くと毎回笑いまくりながら泣いてしまう。 なんやねんその歌詞は。 怒っている歌も、めっちゃ怒ってる歌も、 なんかほんとつぶやきみたいな歌も、ちいさな
先日わたしは一円玉を拾って届けた。 一円玉はわたしのものでもご婦人のものでもなかったからレジの人に渡した。 スーパー的なところで荷詰めをしていたら知らないご婦人がいきなり声をかけてきたのだ。 「それ、私のとちゃうよねえ?」 床に落ちてた。 「え! 私のんでもない! 届けますね」 一円は一円だからこんな言葉もよく言われる。 「たかが一円されど一円」「一円を笑うものは一円に泣く」 でも一円が一円だからそう思うとか扱うのは一円に対して失礼だよなあなんて、今書きながらふと思ったの
その朝、クソ雨の中を早足で向かうともう列が出来ていたから冷や汗が出た。わたしが最後尾、最後の一人だったから。危なかった! 病院へ向かう送迎車に乗るための列なのだ。 かなり不便な場所にあるそこにここ2週間毎日通っていた・いる。 路線バスを使えばいい。送迎バスは陰気だ。そんなこと言ってはいけない。 でも滅入る。しかも暑い。ドライバーも感じが悪い。いやそれも仕方がない。 タダで送ってくれる。しかも早い。 でも8人しか乗れない。 9人居たら? 最後の一人は放っていかれる。 それが