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創作論

こんちには。皆様お疲れ様です。
今日は朝日屋の小説について話していきたいと思います。

昔の朝日屋の小説はどす黒い描写が多く、いまは自ら封じた作風ですが、人の芯に触れ、どす黒い暗い話ばかり書いていました。あるときは最終話かバッドエンドか、ビターエンドの話も非公開でしたが執筆していました。

そんな朝日屋が急に明るい話を書くようになった切欠は長年の苦しみから取れたことです。

いまは明るく楽しい話を書きたいものです。
暗く陰鬱な話を書く書き手さんはそれはそれで良いと思いますし、作風を否定するわけもありません。朝日屋の場合は気持ちが落ちてる時は苦しい小説が心に寄り添ってくれたのでしょう。創作をする身内に聞いたのです。
『いままでの小説は人の芯に触れる話が多かったけれどどうたった?』と聞くと『怖かった』と申しておりました。

けどいまは封じている作風です。
ロシア文学のような暗い話は書かなくなったのは、なぜか。それは自分が明るくなったからです。けれど通底しているのは、

いまも昔も小説が心の拠り所なところです。

小説は想像力や知力、創造性を掻き立てる小説は素晴らしいものだと知ったからです。ハッピーエンドでもバッドエンドでも、ビターエンドでも読後に読み手にカタルシスを得させる小説は一流の小説だからです。

ここまで朝日屋の拙文に目を通してくたさり誠にありがとうございます。苦悩する人々の心を救えたのなら幸いです。



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