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「泥臭く地道」か「スマートに効率性」かの基準

Xとかビジネス書とかだと割とスマートで効率性高くやることが賞賛されてもてはやされていて、泥臭く地道にやることが悪いことのようになっているなと感じる日々この頃です。

もちろんスマートで効率性、生産性を高めていくことは重要なんですが、全部が全部、そちらに振ってしまって良いのかどうかは甚だ疑問です。

相反していることを時と場合によって、あっちに行ったりこっちに行ったりして答えを見つける、そして結果を出していくことこそ、人間に必要とされるマネジメントです。

泥臭く地道にやるか、スマートに効率性を求めるかという議論に置いても、どちらか一方ではなく、どちらもやれること、その使い分けが上手にできる人は、仕事ができる人だなと日々感じています。どちらか一方に偏って通り一辺倒で自分のやり方を貫くことなく、どちらも状況に応じて使える人になりたいと思います。

ではその境界線はどこにあるのでしょうか。自分の体感していること、注意してしていることを言語化してみます。

それは、「インプットした時に、アウトプットが予想しやすいか否か」です。

一番インプットを入れた時のアウトプットが予想しやすい度が高いものは、パソコンとかソフトとか、つまり「モノ」です。モノに向かってやる作業は効率性やスマートさを求めていくべきだろうと思います。なぜならインプットさえちゃんとできていれば、アウトプットはある程度保証されているので、インプットの段階に地道にやる必要はありません。

逆にアウトプットが予想しやすい度が低いものは、人や人の集合体である組織です。ここは泥臭く地道にやった方が良いと思います。人ほどインプットした時にアウトプットに個体差が出るものはありません。同じ人でも時によって、所属する組織によって、インプットから生成されるアウトプットは全くその姿形を変えていくからです。

医療従事者の業務でいえば、医療機器や情報を扱う時には、効率性を求めていった方がいいんだろうと思いますが、患者さんとのコミュニケーションや治療するとき、またスタッフとの情報のやり取りする時は、その逆で地道に泥臭く行っていく方が良いかもしれません。

私が主な業務としているのは品質改善ですが、その業務の中でもこの「どこで泥臭く地道にやるか、どこで効率性を求めるか」という問題は非常に重要です。データや情報をまとめたり資料作成には、効率性を追求していますが、そのデータや情報を使って改善を人や組織に促すときは、泥臭く地道にやります。人は感情でどうするかを決定する生き物です。感情を動かそうとするときに生産性や効率性を優先してもうまくいきません。どんな言い方、伝え方(インプット)をすれば、行動してくれるか、改善してくれるか(アウトプット)試行錯誤しながら進めるからです。

チャットツールを用いたり、スマホで操作したりする電子カルテとか、そういうDXのための媒体が出てきていて、それを活用していくことは非常に重要です。でもそれはある程度仕事や治療が進み出した後に使用するものであり、やっぱり物事が動いていない時のスタートは対面を使うという一見泥臭く、地道な一手しかないのだろうと思います。

自分の中に、「地道に泥臭くやる」と「スマートに効率性を求める」という二つの相反する方法を内在させて、時と場合によってうまくそれを繰り出していけるようにしていきましょう。




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