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開業前夜覚書

若かったね。
当時の彼氏で現夫のPが、出身県に就職することを前提に高校~大学在学中に借りた奨学金。
当時彼女だった私の地元で、二人そろって就職しちゃったから、卒業と同時にPは、県に600万の借金をかかえた。
規定により、5年間で借りたものを2年半で返さなきゃならなかったので、新卒給料の一人分全額を返済に当てていたっけ。
1人分の給料でやりくり、当然のように給料日前には二人して私の実家にご飯を食べに行き、おかずの詰まったタッパーを持ち帰る生活。
同居しない寄生虫状態だったな。

そうこうしているうちに、P父(現義父)も自分流の商売を変えられず、時代の流れで新興勢力(?)に押され傾きまくって、月々の返済に困窮。
それまでも時々していたPからの援助を、社会人3年目の私の寿退職と同時にぷっつり切るわけにもいかず、私の両親に喫茶店でお願いしたよね。
自分から見た義両親にPは、下げたくもない頭を下げて(?)、
「同居させてください」と。
父母は二人そろって、一も二もなく言ってくれた。
「おとうさんたちも大変なんだから、こっちは大丈夫だから是非来なさい」と。
父なんてご丁寧に「P、変な遠慮なんてするなよ」って・・・・。
婿殿P、その父の言葉を間に受けて無遠慮に過ごしていたら、私の妹に「図々しい!」と罵られたけどね。
罠だったのか?

Pの地元に戻って開業することにしたのも、お義父さんお義母さんの心配もあったから。その頃にはもちろん、自分たちの開業資金も必要だったから、お義父さんへの援助は打ち切って、返せないにまかせておいたけど。
お義父さん、自宅も売っちゃってお店で寝起きしていたね。
だからこちらに来た当初は職場建物が出来るまで半年間、6畳一間にユニットバスと小さな流しがついた部屋に、我々夫婦と子供二人とお義母さんで暮らした。3組敷いた布団でいっぱいいっぱいの部屋で寝起きしていたんだよね。
そんな経緯だもんで、開業の自己資金ったって雀の涙。
借金したくても、公庫は実績ゼロの若造は相手にしてくれないし、銀行も我々だけではなんともならず。我々に土地を売りたい不動産屋が口を聞いてくれて、皮算用で馬鹿デカく見積もった事業計画書なんか仕立て上げて、なんとか借りられた。
親戚にも迷惑かけられないから、
「保証人は居ません」
って言ったら、保証協会ってやつを付けるように言われ、とにかく借りてとにかく建ててとにかく仕事を始めないことには収入ゼロだったから。
7000万プラス保証料500万を、今の2倍の金利で『貸していただいた』よね。
無謀っちゅうか、若気の至りっちゅうか。


18年も前の話。

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