長生きとか早死にとか平穏だからほざけることだけれど
マンモグラフィー検査の開始時期と受診頻度に関する記事を目にした。
ふと思い立ち、妹に検査を受けているか聞いたところ、
受けたことがないし受ける気もないという。
なぜ?
受けてもしょうがない。
なぜ?
何か見つかっても治療したくないし。
なぜ?
見つかったときには手遅れってぐらいがいい。
子供たちもそう思ってる?
まぁとにかく長生きしたくない。
スマホ画面を目で追いながら、なんだか泣きそうになってしまった。
やり取りを保留にしたまま寝るまで途切れ途切れに妹のことを考えて、一晩寝て自分のことも考えて、でも実は自分も似たようなことを思うことはあるけれど根本が違う気がしたから、反論や論破や矯正のつもりはなく自分なりの考えを書いてみた。
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言いたいことは分からなくはない。
親世代が、頭や身体の機能が低下して来ているのを目の当たりにすると、自分で出来ないことが沢山になっちゃった状態で生きていたくないと思う。
子供が自立するまでは!と言っていても、その子供だって、私が今いなくなっても結局は何とかなるだろうし。
なんなら今消えてしまいたくなる時もある。
私の場合それは、たいていは満ち足りてる時に思う。
でも、あなたの「長生きしたくない」はネガティブな感じに読めて、姉である私は切なくなったのだと思う。
夫は最近、自分たちは何歳まで生きると思う?と、私に聞く。
老後どれだけお金があれば生きていけるのかを考えて、いつ仕事を辞めるか、いつやめられるか、ということを、しょっちゅう考えてる様子。
動けるうちに仕事をやめたい、と。
やめて2〜3年もしないで死んじゃったら、なんのために働いたんだか分からなくなるって。
「じゃあなんのために働いているの?」「生きてくため」
とは言うけれど。
私はそれだけじゃない気はする、気がしている。
そんな私が思うに、生きていく気がないあなたは、じゃあなぜ働いてるんだ?って思って、長生きしないつもりなのに嫌なことばっかりの会社生活で良いのか?って思ったりして。これも切ない。
長生きしたいとは思わないけど、病気は嫌だし、家族が後悔するようなのも嫌だ。
もっと早く病院に行かせておけば良かった、とか思わせたくはない。
でも確かに、自分個人だけを考えれば、気付いたらもうダメな状態で数日でおさらばできるなら、それはそれで、夫にそばにいてもらいなが「サイナラ〜」ってのは、まぁ理想的だけれど。
でもそう簡単にキレイには終われないだろうとも思う。
ヒトを含む動物は心臓が止まらないと死なないから。
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姉妹という関係に甘えて、中途半端な内容で返信して、そのうち別な話題に移ってしまったけれど、時々思い返してモヤモヤしている。