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初盆と死後の世界

お盆を迎え、私は山形の出羽三山に向かった。出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山からなり、古くから信仰をあつめ、今も人びとと暮らしとつながる場所だ。

2011年の大震災の年に、仕事のご縁をいただき、出羽三山に行き、その奥深さや山の清らかさに驚き、震災後の混沌とした気持ちのなかで惹かれるるものを感じ、仕事の機会も含め幾度かこの地を訪れた。

今回は、その時以来、気がつけば7.8年ぶりだった。

出羽三山は、羽黒山〈現在〉、月山〈過去〉、湯殿山〈未来〉とし、三山を巡ることは、死と再生を辿る「生まれ変わりの旅」と言われてきた。白装束を来て死者として山に詣で、未来の湯殿山に降りてゆき、生まれ変わる。月山山頂には月山神社があり、山頂へ自らの足で登った人だけが詣でることができる。山頂では、お盆に合わせ柴燈祭という祭神が毎年開かれている。月山は「祖霊が鎮まる場所」として、祖霊があつまっている。お盆には、山頂にて護摩壇を組み、火を炊き、祖霊を里に帰し、供養をする。
2011年に通っていた時、母も行ってみたいと、2011年卯年の柴燈祭に合わせ、母と一緒に詣でた。その年は、卯年だけでなく、満月で(月山は月と兎と縁が深い)より特別な日だったが、祭の前は雲が広がっていた。が、山頂に火が焚かれると、雲は大きく履け、登ってきた月が輝き、眼下に広がる雲とその下には街並みの灯りの広がりが見え、燃える火の粉は空に舞い上がり、本当に黄泉の世界に入りこんだようだった。

昨年暮れに母を亡くし、お盆というものが自分にとって、意味あるものとしてやってこようとし、どう過ごそうかと思っていた時、ふと柴燈祭に行こう、母の供養を初盆をそこで迎えよう、と思った。母と最後に遠出をしたのもその時だったことを思い出した。

そして、訪れた出羽三山、久しぶりの山は清らさが広がり、花はあちこちに咲きほこり、晴れたり曇ったり、秋空と夏空が交じた空のなかで、久しぶりの登山で不安だったが道連れの親切なおじさんたちと励まし合い、無事に頂上に着いた。そして、月山神社に供養をお願いし、柴灯祭を迎えた。

山頂から大きく立ち昇る炎と、空へ飛んでいく火の粉を見て供養が出来たことを感じた。そして光る月を見て、私は母がいつも見守ってくれてることにふたたび、気づかされた。 

そして、山頂小屋で一泊して、朝を迎えた。朝靄に包まれた山頂は素晴らしく、ずっと留まっていたいくらいだったが、そうもいかず、湯殿山目指して下山し、湯殿山神社に詣でて、無事に終えることができた。実は登りより、下りの方がとてもきつく、カメラで普通より荷物が重いのもあったのだろうか、最後足に力が入らないくらいで、なんとか湯殿山神社に着いた時は本当にほっとした。

お盆を過ぎた今週のこと、用事を終え表参道を歩いていると、「すみません、お話し伺えますか?」と、呼び止められた。ラジオ番組で街の声を集めるというコーナーで、お盆開けなのに合わせ「死後の世界」について伺せてください、とのこと。聞いてすぐ、内心吹きそうだった。昨年末に母が亡くなってから、ずっと死や死後の世界や魂について考えてきたし、生まれ変わりの旅から帰ったばかりだったから…。という、内心は心のなかに、インタビュアーの方の質問に答えると、ぜひ番組で使いたいから、少しインタビューさせてください、とのことで、死後の世界や天国や地獄があるかなど、私の思いをお話した。インタビュアーの方が、面白いですね?それって、どういうことですか?と、突っ込んで来るので、私も今まで考えてたこと、知ったことを総動員して&そこから私なりにを総動員して話した。とても楽しい時間だった。
そして、放送を聞く。私の話したことにパーソナリティーのお二人はとても好感を示してくれた。私の後にパーソナリティーの女性の方が話してくれたことにもすごくうなづけた。私は、自分の感覚、死の世界と魂への感覚を確認できて、この偶然に現れたインタビューと番組を通して、別次元にコネクトして、次への準備が整った、ように思った。

そして、これは、アメリカへ向かう飛行機のなかで書いている。

本当に、本質の魂はピョアで、ただ経験と体験をしていく、この地球での選択は限られたものだけど、本来は自由な存在だ。だけど、地球に二本足をつけて歩く私たちは、足を向ける方向も、足を置いていく道も選んで、不自由にもそこから経験し、学ぶしかない。だけど、魂は本来は自分でピョアで、自由で、制限だってない。いつだって、その両方を知って、今を生きるしかない。

私は、今ひとりで、ピョアで、豊かで、愛に満ちた存在だ。それは、どんな存在だって、変わりない。受け入れ、豊かに夢みる。
今二本足で一歩一歩を選びながら、たしかに歩いてく。


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