文章を書いた後に残る違和感
今年のはじめ、とある記事を読んで私も考えてみたこと。誰かのもやもやを解決できるほどのものではないけど、私なりの「書く」に対して抱いている気持ちをまとめてみます。
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私が時々感じることのある「文章を書いた後に残る違和感(不快感)」について。
あなたは、文章を書いた後、違和感を感じたことがありますか?
<違和感その1>
私は、考えや思いの結論みたいなものがその時々で微妙に違っていて、「このときはこう考えていたのか。今は違うな」ということがある。書いた当日中から、だんだんと自分から離れていく感覚で、最短で3日〜1週間後くらいでも、あれ?なんか違うぞ、という感じがすることがある。
もしかしたら、その間に自分自身が熟成されているのかも。根本的に大切にしているものは変わらないはずだけど、ちょっとしたものの見方とかは、日々刻々と変わっているのかもしれない。実際、昔の投稿を読み返して、自分自身の成長を感じることがある。(一方で、目先に囚われていたことを反省し、初心に立ち返ることもある)
<違和感その2>
また別の、こんな違和感もある。
私の心の中に、感覚的にあるものを言葉にすると、曖昧さが減る、という違和感。曖昧さが減って、的確に伝えられるっていうのが、言葉で伝える醍醐味ではあるんだけど、感覚的なところがパキッとしすぎて、(意見とか結論がはっきり「こう!」と決まってしまうので、)「あれ?なんか微妙に違う」と違和感を抱いてしまう。たとえて言えば、写真や絵画や音楽などの芸術作品って、いろいろな解釈の仕方ができるんだけど、それに説明文をつけて仕舞えば、感じ方が限定されてしまう、という感じに似ている。
その説明文が、ピッタリ芸術作品に当てはまったものだったら問題ないのだけれど。私の場合は、その説明文を書く力がまだ未熟なんだと思う。感じたことのニュアンスを言葉で表現する力がまだまだ足りてない。けど、これって、最終的にはピッタリ説明できるようになるもんなのかもわからない。もしかしたら永遠の課題なのかもしれない。そんな気がしている。
これらの違和感、決して解決するようなものではないな・・・。
言葉にできない美しさってあると思う。あえて文章にしたくない思いもある。曖昧なままにしておきたいこともある。また書きたいと思っているテーマに「親友とは?」というものがあるのだが、「親友」も結局、「親友」という言葉で片づけられない、それぞれの友だちと私の間での関係性があると思っていて。「親友Aさん」と「親友Bさん」がいたとしたら、AさんとBさんはそれぞれ違うのだから、「親友」なんて同じ言葉では表せない気がして。(この話はまた今度します)
なんでも正確に言葉で表さなくてもいいんじゃないか、曖昧でも、曖昧なままでいいんじゃないか、と思うようになってきた。その曖昧な気持ちを持っている、という事実が、伝えたい人に伝わればそれでよいのかもしれない。
言葉にせずに表現する方法としては、先ほども書いたように、絵や音楽で表現する方法がある。絵が得意なら・・曲作りができるなら・・なんて思ったりする。だけど結局は、何で表現しようと、違和感はあったりするのかな?
胸の高なりとか、目の奥に残る光とか、温度とか色とか。言葉以外の大切な感覚を、そのまま残せたらいいなあ。
表現しないと、色褪せたり、心の中でも感じ方が変わったりする。違和感1に書いた通り、自分自身も刻々と変化しているから。ああ、それこそ、私が「生きている!」ということなのかなあなんて、ちょっと大袈裟に考えてみる。
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<あとがき>
なんだかまとまりなく、思いをつらつらと書いた記事になりました。考えをメモに書いておいてから結構時間が経っていて、いろいろ考えながら今日やっと記事にできました。この記事もまた、月日が経つと、私の違和感に引っかかってくるかな。それもそれで楽しみです。
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この記事を書くきっかけをもらったのは、サクラサクさんのnote。
いつもたくさんの気づきをくれて、楽しく読ませていただいています。心からありがとうございます。サクラサクさんの記事、本当に私にとってドンピシャなことが多くて。優しい人柄が出ていて、考え方が素敵で、記事が面白いので、ぜひ立ち寄ってみてください。これが私の今回の記事のきっかけになったものです↓(勝手に紹介させていただきます)
*そして以下、サクラサクさんの記事を読んで、私がコメントさせていただいた全文です。
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サクラサクさんの文章を読んでいて、私が時々感じることのある不快感についてお話ししたくなったのでコメントさせてください!
私は、考えや思いの結論みたいなものがその時々で微妙に違っていて、「このときはこう考えていたのか。今は違うな」ということがあります。書いた当日中は無いですが、最短で3日〜1週間後くらいでも、自分の中で変化することがあります。
ただ、書いた直後、その日に違和感を感じるとしたら、それは違うかもですね、、うーん…。
あ、こんなのもあるかも!感覚的に心の中にあるものを言葉にすると、曖昧さが減ります。それが言葉で伝える醍醐味ではあるんですけど、感覚的なところがパキッとしすぎて、(意見とか結論がはっきり「こう!」と決まってしまうので、)「あれ?なんか微妙に違う」と不快感を抱くこともあります。私の場合は、感じたことのニュアンスを言葉で表現する力がまだまだ足りてなかったりすることもありそうです。
永遠に話し続けてしまいそうなので、この辺で失礼します(笑)またnoteのテーマをもらってしまいました…!
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同じような違和感、ちょっと違った違和感などあれば、知りたいです。みなさまからのコメントお待ちしてます♪