一人でできることが増えるのは嬉しいけれど「一人でできなくっちゃ」ばかりでもない気がして
今日もひとりでできることが増えた。
去年旅立った叔父の船を譲り受けたくて、私は船舶免許をとった。
そして今日できるようになったことは、船のガソリンを買いに行くこと。
なんでもない、普通のことだけど、ドキドキした。
車のガソリンを入れるのと同様、ガソリンスタンドへ行く。そして、携行缶に入れてもらうのだ。ただ、色々な事件が起こる昨今、まとめては売ってくれないので、1日の上限は決まっている。
そんな事前情報を持って、ガソリンスタンドへ。
結果、初めてのチャレンジは難なくクリア。
こうやってできることが日々増えていく。
私が一人でできるようになったことって、やってみたい!楽しそう!というプラスな気持ちよりも、「できないなんて悔しいもん」というマイナスから始まっていることが多い気がする。
船、別に運転したいなんて思ったことなかった。でも、叔父がいなくなって、何かを守りたくて(自分の心を守りたかったのかもしれないけれど)、勢いで免許をとった。免許を持っているのに船に乗れない自分が悔しくて、操縦の練習をした。ガソリンも自分で買いに行けない自分も、重いからって運べない自分も、悔しくて悔しくて、イライラした。だから今日は絶対に誰の力も借りずに・・・なんて全身に力が入っていた。家族の心配を跳ねのけるように、自分を強く見せた。でも弱くなりかけてヘニャヘニャな私は、出発前に一度泣いた。なんで泣いたのか、言葉にするのは今振り返っても難しい。
私、ある一面では、人を頼るのが苦手なんだと思う。そして頼ることに抵抗があり、頼るなんて弱い、とまで思ってるんだとも思う。
そんなちょっと厳しい自分も嫌だ。別に頼ったって弱いわけでもないし、悔しがる必要もないし、船に関しては、こうやって心が一生懸命なだけで十分なんじゃないかってもう一人の自分が声をかけてくれる。でも実際、悲しみや苦しみの中で、どうやって「相手もできるだけ気持ちよく頼られる感覚を持ってくれている」というような構図にできるのかわからない。
こんなことが、時々ある。好きでチャレンジしていることもあるけど、基本私はそうではないみたい。「やらなくちゃ」が強い。でもそれは、隠しているから、誰にも気づいてもらえない。「(そんなことまでできて)すごいね」って言われちゃう(嬉しいけど)。
「頼る」「頼られる」を少し意識して数日過ごしてみようかなと思った今日だった。
本当に自分が心からやりたいこと、やっぱりわからないや。