思春期に手を振る
先月、わたしは21歳になった。
もう、世間的には子どもではない。
20歳。
なんだか大人になった気がした。お酒も飲めるしタバコも吸えちゃう。「成人」って名称も与えられた。もう、わたしを縛るものは何もないと思っていた。
20歳。
実はまだ子どもだった。いや、正確には大人になったばかりの赤ちゃんのような。「ハタチです」と言うと周りは言った。「若いねぇ!!」と。アルバイトでも、少しの失敗は許されていた。「まだハタチだからしょうがないよ」と。
20歳。
たぶん、大人の赤ちゃんでいられる最初で最後の歳だったのかもしれない。
21歳。
お酒が飲めるようになって1年が経った。実際にお酒を飲んだのは片手で数えられるくらいだけれど。成人式も終えた。まぁ、わたしの地域は開催されなかったのだけれど。
21歳。
ハタチを卒業した。ハタチじゃなくなった瞬間、昔わたしが大人だと思っていた年齢であることに気がついた。いつかのわたしは思っていた。「21歳」って、ハタチよりももっともっと大人って感じだなぁ、と。若いけど、大人。若いけど、全然子どもなんかじゃない。もう、完全なる大人なんだ、と。
21歳。
大人になることを求められた。就職活動への準備が始まり、社会や企業を学ぶ。大人な対応をしなければ、職には就けない。知識や対応力だけじゃなくて、過去の成果も必要になった。過去に何かしらの根拠がないと、自分をPRできないらしい。ここから未来を変えたいという思いだけでは、未来を変えることなどできないらしい。
21歳。
もうモラトリアム期間は終わった。
どっち付かずのわたしではいられなくなった。
思春期のような迷いは、もう許されない。
赤にしようか、それとも青にしようか。
わたしはだれだ、わたしはわたしか。
バランスが取れない。感情も身体も。
大丈夫だと思う。いや、そうじゃないのかな。
こんな風に、曖昧ではいられなくなった。
やるなと言われるとやりたくなる。
ルールは破るためのものだ。
決まった時間に決まった授業を受けるなんて嫌だ。
大人の指示通りになんて動きたくない。
こんな風に、反発はできなくなった。
大人は明瞭で順従だ。
自分を理解していて、何が正しいのかを知っている。
あたかもそのように行動をする。
ほんとは何もわかっていないのに。
21歳。
20歳よりも大人。
でも、22歳より子どもだ。
ずっと、何歳になっても、大人で子どもなのだと思う。
思春期ではいられなくなったとしても、きっと、思春期の気持ちは胸のどこかにずっとある。
思春期だから信じられる。
「きっと上手くいく」
大人だから信じられる。
「これまで上手くやってきたんだから、これからだって絶対上手くいく」
21歳。
思春期に手を振った。
わたしは、大人として生きていく。