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かりんの虚像

頭の遥か上を、どうと風が吹き抜けます。
まだ柔らかそうな枝葉が大きく揺れ、ざわざわと音を立てます。

木々を掻き撫でた春一番は、苔むした大岩を飛び跳ね、渓流に逆らって十和田湖へ向かっていくようでした。

急流が弾いた飛沫で湿気た地面にしゃがみ、そっと瞼を閉じます。丸まった私を、風は岩の一つであると誤解したようで、頭のすぐ上を跳ねていきました。春先の空気は未だ冷たく、長い間この森林を歩いているために、私の肌はきっと赤らんでいるでしょう。黒々とした地面に触れると、冷えてざらついた粒子が指の腹を擦り、どこか懐かしさを覚えます。

新緑も疎な青森の春、今私の頬を掠めるのはシベリアの風です。二百二十日の風と共にイーハトーブを去った又三郎が、シベリアから冷えた春を連れて、どどうと駆け抜けるのでしょう。残念ながら大人の私には見えませんので確かめようがありません。その代わり、こうして知らんふりをして又三郎の小さな足を背中に感じるのです。

キーボードの音。絶え間なく鳴り響き重なり合う電話機のコール。アスファルトを擦るタイヤ。革靴とヒールの規則正しい音。いつも正しく道は存在し、「ここを歩くのよ」と決めつけて、液晶の奥では人間の形をした何かが今日も笑っています。

大人になる程吹き飛ばしてほしいことがたくさんあります。

悲しいかな、私のかりんはとうの昔に落ちているので、どうやら自分で抱える必要があるようです。ただ少し、頼りたくなる時は、こうして風の通り道へと向かうのです。

赤い頬と指先と同じくらい感覚をなくした耳に残る着信音は、ざわめく木々があれよあれよと攫って行きます。進むことも、立ち止まることも強要しないこの場所で、気まぐれに風は吹き去ります。不規則で規則的なこの場所は、私をちっぽけな存在であると、厳しくも教えてくれます。

風はもう実を落とさないことを思い知り、寂しさを覚えますが、不思議と清々しささえ感じるものです。
きっと、既に必要なだけ実を落としているからかもしれません。

過ぎた風を受け入れて、車を停めた駐車場へと踵を返します。私はこれから、小さな車のエンジンを鳴らし、忙しい明日のために家路を急ぐのでしょう。

背中をどどうと風が掠めます。

次はイーハトーブで会いましょう。



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