ラジオ星

溢れた活字の水溜まり| 大手IT企業を退職し、Iターンで島根県に移住。現在はWEB制作会社でコンサルティングやプランニングを行う。

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溢れた活字の水溜まり| 大手IT企業を退職し、Iターンで島根県に移住。現在はWEB制作会社でコンサルティングやプランニングを行う。

マガジン

  • 湿気た瘡蓋

    愛されないを知っている誰かへ。

  • 泣く

    涙を流すこと。感情的に流れる涙の機能もしくは起源についての問題は、いまだ解明されていない。

最近の記事

嬉々として推敲する

WEB制作会社に勤めていると、ライティングや校正、推敲の業務が往々にして発生する。 ライティングは時間泥棒だ。タイトル決めから頭を抱えることとなるため億劫になる。かと言って、分かりきった文章をつらつら見るだけの校正は、なかなか眠たくて面倒だ。(特に専門的な文章になればなるほど苦痛が伴う。暗号のような型番なんかが並んだ部品の説明原稿へ臨む前は勇気を奮う必要がある。) それらに比べ、推敲はなかなか面白い。飛んだ接続語に、文中で不意に変わる動詞の主語。穴埋め、言い換え、ゲームの

    • 唄うoffice

      今日も重たいドアの向こうで、件の唄が始まる。 前奏はいつも出社の早い私。ウォーターサーバーのくぐもった水音から唄い出しだ。座席についてMacBookを開く。Windowsには無いキーの軽さが寝ぼけて絡まる指先に優しい。通勤時間の割にオフィスが静かなのは、本線までに副道を挟んでいるからだろう。忙しい音を少し遠くに押しやって、手元のキーが心地よく沈み軽やかに笑う。 ぽつりぽつりと奏者が小さなオフィスに訪れ始め、次第に盛大な合奏曲となる。至る所でEnterキーがドスンと沈み、シ

      • 月と十分

        私は三十路手前のいい歳をした大人だが、昨晩は寝室に篭り子どものように嗚咽混じりに泣いた。瞬きをせずとも目の淵から涙は勝手に溢れ出し、胸の中心の筋肉はひどい痙攣をやめなかった。仕事のためにインストールしたソフトウェアは、弱小なWi-Fiのせいでパッケージが開けるまで2時間かかるとの表示だったか、やっと涙が枯れてまともに画面を見れるようになった時には既に「完了」の表示へ変わっていた。 幸いなことに、私はこの「夜の涙」の止め方を知っていた。 仕事を進めるにも、瓶底のような涙のレ

        • 行旅死亡人をご存知か

          行旅死亡人とは、行旅中に死亡して身元の分からない遺体を指す。ただし、行旅中といっても旅行中とは限らず、行き倒れで身元もわからず、遺体の引き取り先の無い無縁仏が多くを占める。 日本では毎年8万件以上もの行方不明届が出されている。この8万件は、あくまでも「認識ができている数」なので、人知れず消えていった身寄りのない人々を考えると相当数が毎年行方不明となっていることが想像できる。 行旅死亡人の存在を知ったのは今から8年前。当時は尽きぬ好奇心から、「存在を失った人々」を覗きに、警

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        • 湿気た瘡蓋
          1本
        • 泣く
          2本

        記事

          亡くなった人に夢で逢うこと

          亡くなった祖父が夢に出てきたあの日から、専ら眠れない日々が続いている。 祖父の居た時間は思い出になって久しく、彼を象徴した細かな仕草も記憶から消えつつあった。彼の輪郭を緩やかに、着実に失う私の頭。だが、不思議なことに数日前の私の頭はしっかり祖父を夢で捉えた。確かに居たのだ。タバコの匂いを燻らせながら。 あの日の夢の中でただ静かに佇む祖父は、歯を見せずに微笑んでいた。茶けた肌に薄緑の血管が大きく浮き出た手は冷たそうだった。少しふっくらした祖父の頬。首は少し前に落ちていて、そ

          亡くなった人に夢で逢うこと

          かりんの虚像

          頭の遥か上を、どうと風が吹き抜けます。 まだ柔らかそうな枝葉が大きく揺れ、ざわざわと音を立てます。 木々を掻き撫でた春一番は、苔むした大岩を飛び跳ね、渓流に逆らって十和田湖へ向かっていくようでした。 急流が弾いた飛沫で湿気た地面にしゃがみ、そっと瞼を閉じます。丸まった私を、風は岩の一つであると誤解したようで、頭のすぐ上を跳ねていきました。春先の空気は未だ冷たく、長い間この森林を歩いているために、私の肌はきっと赤らんでいるでしょう。黒々とした地面に触れると、冷えてざらついた

          かりんの虚像

          上にのっかる下心

          「お節介なもので、悪意を持たない者はいない。」 フランシスコ・ベーコンの言葉が、10代の私にストンと落ちてきた。 或る人の「ソレ」は善意ではなく自己愛であり、ただの自己アピールに過ぎない。 ということまでは10代で感じたこと。 お節介を受け取る側として、その下心の存在にわかっていながらも、自分にとって都合よく解釈する場面はきっと少なくないはずである。相手の下心に自分の下心がのっかっている状態だ。 そんなとき我々は、相手の下心に期待さえしてみたりする。 決して口には出さ

          上にのっかる下心

          オバケ

          仕事を辞め、住む場所も環境も大きく変わった。 27を迎える私は入籍をし、身の回りの法律も変わった。 取り巻く全ては忙しく流れていくのに、私だけずっと取り残されている。 私ってなんなのだろう。 モラトリアムはとっくに過ぎているのに、 一向に自分が見つからないのが27の私だ。 もっと言うと心の成長の定義すらわからない。 人間なんてそもそも汚いものであるのに、これからどういう変化を起こすと成長と呼ぶのだろうか。 人間の心はきっと硝子細工のように美しいものではなく、もっと生

          サンダルをつっかけて蛍を見に行く

          小さな鳥居の横、冷えた光を放つ蛍がわずかに細流を滑る。 目で追えるほどの少ない光ではあるが、確かに蛍が棲んでいた。 ぼうっと光る度に心が揺れ、闇に紛れる度に落ち着かない気持ちになる。 川縁でしゃがんで右に左に顔を動かし蛍を探す。 夜の空気はまだ肌寒く、サンダルをつっかけた足先に力が入る。まだ少し、半ズボンは寒かったかもしれない。 アパートから10分ほど車を走らせ、バイパスを横切り田んぼの中の住宅地を過ぎると、小さな鳥居を構えた神社がある。ホタルが見える場所としては無名な

          サンダルをつっかけて蛍を見に行く

          父の日がカレンダーから消えて

          父の日が私のカレンダーから消えてから、今年で4年が経とうとしている。 4年前の雪の日、長く病気を患った末、最期は病院の病床で亡くなった。 闘病生活は過酷であった。 骨のように細くなった足は壊死し、不自由な内蔵故に人工肛門となり、身体の機能も徐々に失われていった。「母さん」とか細い声で祖母を呼び、血の海となった風呂場で倒れていることもあった。涙を流し嗚咽を上げながらも、気丈に振る舞おうとする祖母の姿も同時に思い出される。 本人の希望もあり、家で介護を続けながら療養を行なって

          父の日がカレンダーから消えて

          対岸を走る汽車の音しか響かない

          出雲市から島根の県庁所在地である松江市を跨ぐ宍道湖は、東西約27km、南北6kmに渡る大きな湖だ。 市街地の端からすれ違いも際どい1車線の土手を走り、15分ほどで宍道湖沿いの古びたスポーツ施設に辿り着く。湖遊館と呼ばれる褪せたアイススケート場はそこそこの大きさであるが、単調な湖面に沈むようにひっそりと佇んでいる。 夕方に差し掛かるも6月の日はまだまだ高く、時間の流れが鈍い。暮れるのは大分先である。 湖沿いには釣竿が並び、スズキを黙々と狙う釣り人がいる。100mほど湖沿い

          対岸を走る汽車の音しか響かない