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月と十分

私は三十路手前のいい歳をした大人だが、昨晩は寝室に篭り子どものように嗚咽混じりに泣いた。瞬きをせずとも目の淵から涙は勝手に溢れ出し、胸の中心の筋肉はひどい痙攣をやめなかった。仕事のためにインストールしたソフトウェアは、弱小なWi-Fiのせいでパッケージが開けるまで2時間かかるとの表示だったか、やっと涙が枯れてまともに画面を見れるようになった時には既に「完了」の表示へ変わっていた。

幸いなことに、私はこの「夜の涙」の止め方を知っていた。

仕事を進めるにも、瓶底のような涙のレンズが鬱陶しいほど邪魔をするので、昨夜の私は諦めてその秘密の方法を試すことにした。徐ろにインナーテラスの洗濯物を押しやって、二枚建ての少し窮屈な窓から空を見上げた。月だ。更に幸いなことに、今夜は綺麗な雲のない満月なので見失うことは無い。これで安心だと、肘をかけた手すりに身体を預けて両手の指をゆっくり組んだ。

涙を止める小さな魔法は、幼い頃今は亡き祖父から教わった。

母方の祖父母の家に休日預けられた私は、夜が訪れるのが怖かった。父のいる家へ帰る前日は特に恐怖に苛まれた。夜は怖い。暗闇は知覚を遮断し、思考だけに集中させる。小さな私に投げつけられる悪意を持った言葉の刃は、思考が冴えた夜中に光る。

父は私をよく「要らない。」と言って小さなおもちゃ箱へ私自身を仕舞った。私が物心ついた時からひきこもりの父。父に渦巻く心のどす黒くどろどろしたものは、時折爆発して私や母を傷つけた。私は父を刺激しないよう、小さく小さく暮らしていた。

父方の祖母は「生きているか死んでいるかわからない。」と私を指した。祖母に名前を呼んでもらうことはなく、いつも遠くから私は彼女を見ていた。祖母の経営する寂れたレストランへ、年の近い女の子が訪れた時、私の知らない笑顔の祖母がその子の名前を呼び、抱き寄せた光景を克明に覚えている。私は例に倣って、遠くから見ていた。ほんの一瞬だけ目が合って、すぐに逸らされたのも覚えている。

社会経験もないまま私を出産し、未払で電気やガスが止まるこの古ぼけた家に監禁され、若く一番美しい時をただ失っていく母は、少しおかしくなった。毎晩誰もいない廊下で意味のない言葉を叫んでいた。これもまた、私は小さく座って遠くから母の腕のケロイドの跡を見ていた。父が包丁で刺した跡だ。

夜は怖い。私を傷つける何もかもが襲ってくる。

唯一安心できる母方の祖父母の家に預けられた日には、夜になると私は声を上げて泣いた。明日また、今日のように家で泣くとおもちゃ箱に入れられてしまうだろうと思うと更に慟哭した。祖父はそんな私の手を引き、ベランダへと連れて行って魅力的な魔法を教えてくれた。「もっちゃん、お月様を見てお祈りすると願い事が叶うんだよ。」と言い、私の指を組んで月を指した。「いつかもっちゃんと暮らせますように。」とエプロン姿の祖母が後ろから魔法に参加した。祖父が言うならと納得し、私も祈った。「じいちゃんとばあちゃんと、一緒に暮らせますように。」

それからいつも毎晩こっそり小さな窓から祈るようになった。夜の窓際の十分は私の特別な時間だ。夢が叶ってから祈ることは無くなったが、たまにこの魔法を使ってしまう。

大人になっても「愛されない」を感じると、瘡蓋が開きあの時のまま痛みが襲ってくる。「可愛げない。」や「あの子」と私を指す声。「要らない。」が頭に響いて何重にも重なる。父の腕にだらりと抱えられ、声を出さずに泣く私が脳裏にいる。そしてあの時のまま私は悲しいのだ。

そんな時は月に祈る。祖父の亡き今、祈る目的はもう無くとも、愛を感じられるからだ。どんなに傷ついても、これからずっと愛されなくとも、あの時確かに愛されていた記憶があるから、私は生きていける。

私は愛を知っているから、この先何があっても生きていけるのだ。

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