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【掌編小説|Reflection】ひかりのありか

 物心ついた時には、光を浴びて、舞台の上をくるくる走り回っていた。そこが自分の生きる場所だと信じて疑わなかった。それは「その世界しか知らない」という事でもあった。それを不幸だと思う人もいるのかもしれないけれど、他人がどう言おうが、自分は幸福だった。
 《井の中の蛙大海を知らず》ということわざがあるけど、のちに、《されど空の青さを知る》というフレーズが付け加えられたという。そのフレーズを「蛇足だ」とか「狭い世界しか知らない者の負け惜しみ」とか思う人もいるらしかったけれど、当時の自分は、付け足した人の気持ちがわかる気がした。舞台の上から見る景色は自分の宝物で、誇りだったから。ここからでも見える景色があるのだと、ここからしか見えない景色があるのだと、そう胸を張っていた。

 とはいえ、かつての自分が外の世界を知らなかったのは客観的な事実だった。

 そんな自分が外に連れ出してもらったのは、今から何年前のことだったか。
 それだって最初のきっかけは「違う土地でやる舞台のため」だったのだけど、とある年のとある夏の日、仲間たちとともに、瀬戸内海に浮かぶ、オリーブの薫る島に上陸した。

 星が綺麗な夜を何日か過ごして、舞台は無事に終わったのだけれど。

 仲間たちは島から去ってしまったのに、なぜだか自分はこの島に留まっていた。ギリシャ語でオリーブを意味する「エリエス」の名を冠した、海の真横の建物にずっといた。数年後には、どこか懐かしさを覚える古民家に住処を移した。
 仲間たちも、その顔ぶれをちょっとずつ変えながら一年に数回は戻ってくるのだけど、基本的には一人でここにいた。もう自分は、彼らと一緒に舞台を踏むことはなかった。

 井戸を出て大海を知ってしまった蛙は、まんまと大海に魅入られてしまったのだった。
 
 坂手の路地は迷路のように入り組んでいて、黒い瓦屋根と生い茂る緑のコントラストが綺麗だ。お墓は海を臨むように見晴らしのいい場所で夕日を浴びている。夜の瀬戸の浜はしんとしていて、数えきれないくらいの星が見える。
 堀越から田浦にかけての道は風がきもちいい。それから苗羽のクッキーやさん。醤油のにおいのする馬木の街並み。草壁のジェラートやさん。西村の眩しいビーチ。三都半島のくねくねした坂道――そのほかにも、ここに挙げていけばキリがないくらい、沢山の場所へ行った。それら全てに心惹かれた。それでも、島は広くて、とても辿り着けていないところばかりだ。
 
 ほんとうに、外の世界というのは、なんと素晴らしいことか。
 この島に来てから、日々、新しい世界との出会いが楽しくて仕方なかった。

 でも、外の世界が素晴らしいものであることを知る、というのは、別に、井戸の中から見えた空の青さがニセモノだった、という結論に至るものではないし、どちらも素晴らしい、でいいんだと思う。

 舞台の照明の煌めきも、この星の美しさも。

「《わが星チャリ》使っていい?」
「いいよー。いってらっしゃい」
と、古民家の中から声がする。

 出番だ。
 
 今日もまた自分は、この背中に誰かを乗せて、この星をくるくると走り回る。

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