桃子

受験頑張ります

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『駈込み訴え』の解説のような何か

書いていきます。 太宰治の『駈込み訴え』が物凄く面白かったので、読後のテンションのまま読んだ感想を書き残したくなりました。最初の一文から逐一拾うタイプのクソつまらない説明文ですが、楽しいので良しとしましょう。 まず書き出しについてですが、太宰の作品はどれも出だしが魅力的だと思います。斜陽なんてお母様がスープ飲んでるだけの描写なのに…… 斜陽はどうでも良くて、本題は駈込み訴えの出だしです。 切れ切れの短文と少し乱れた言葉遣いで焦りを伝えてからの、 この殺意。能動的な殺

    • 「推し」の閉塞性 駈込み訴えから

      推しという言葉の不便さについて語りたい。 太宰の『駈込み訴え』の感想をネットで流し見ていたところ、「キリストはユダにとっての推しだった」というような意見が多々あった。そう言われると確かにユダはキリストを推しているし、作品全体を通してXに投稿されたメンヘラの長文っぽい。 推しやメンヘラというような表現は自分の中には絶対にないので、分かりやすく端的に表す現代風な美を感じる。何様という感じの評ですが。 妙に納得したけれど、一度落ち着いて考えてみると、「推し」という単語があまり