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「もう令和の時代なのに」?

 何か(主に価値観)を時代遅れであると指摘する際、標記のようなフレーズを使う人がいます。改元前後はとみに多かったと記憶しています。

 しかし、どうも私には、その文脈で改元の事実に言及する必然性・合理性があるようには思えません。

 元号は、「皇位の継承があつた場合に限り」改められることが決まっています(元号法2項)。そして、皇位の継承は「天皇が崩じた(=死亡した)とき」に「皇嗣(=皇位継承順位第1位の皇族)が、直ちに即位する」かたちで行われます(皇室典範4条。ただし、天皇の退位等に関する皇室典範特例法2条参照)。

 つまり、改元は、現行憲法下においては、定期的に行われているわけではなく、天皇の寿命が尽きる時に行われているのです。そして、天皇は名実共に人間ですから、当然、その寿命も一定ではありません。実際に、昭和時代は64年間、平成時代は31年間で幕を閉じています。不吉なことを言うようですが、令和時代もいつまで続くかは定かでありません。

 ところが、「もう令和なのに」と言ってしまうと、まるで、改元が相当に長い一定期間の経過を意味するかのようです。仮に、平成が5年ほどで終わっていた場合に、1994年の時点で「もう【新元号】なのに」と言われたのでしょうか。また、平成が現在でも続いていた場合に、「まだ平成だし」と納得できたのでしょうか。

 何かの古さを指摘する上で元号は関係ないと思うのですが、いかがでしょうか。

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