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君と僕との絶対安全地帯

「もしどこにでも住めるとしたら?」
そう問われて真っ先に思いついたのは、甲村記念図書館だった。

甲村記念図書館とは、香川県高松市の郊外にひっそりと佇む
由緒ある私立図書館のことだ。

話によれば、江戸時代から続く旧家のお金持ちが、自宅の書庫を改造して作ったものだそう。

古い大きな日本家屋で、応接室のような優雅な閲覧室がある。

他のどんな図書館とも違った特別な図書館。

そしてなにより、その図書館には大島さんという素敵な司書さんがいる。

彼が汗をかいたりしゃっくりをしたりする、なんてことは
まるで想像つかない。
それほど清潔で整頓された印象のある美しい青年だ。

長い前髪が額にかかり、それをたまに思い出したように手で掬い上げたときに見えるおでこが、とても艶やかで美しい。

博識だけど、説教じみたところも常識を押し付けるようなところも全くなく。

むしろ、どんな人のどんな事情もあるがままに受け入れてくれるような人。

「素敵」なんてひとことで彼を表すのは失礼なんじゃないか。

そう思うほどに魅力的な人なのだ。

正直に言うと、あの図書館に住みたい
と思ったのも、彼に毎日でも会いたいという下心もあったと思う。


しかし、こんなにも魅力的なのに、この図書館は現実には存在しない。

そして大島さんも、存在しない。おそらくは。

ではいったいどこにあるのかというと、それは、本の中だ。

村上春樹の「海辺のカフカ」

きっと、世界中の何万人もの人を狂わせてきたであろう名作の第5章から、甲村記念図書館は登場する。

15歳で家出をし、行く宛のない主人公・田村カフカ君を受け入れ、居場所となってくれたのがこの図書館。

私もこの小説に狂わされた1人であり、
初めて読んだ大学4年生の秋の始め以降、
心の中にはいつも甲村記念図書館が存在している。

そしてもちろん、その中には大島さんもいる。

私は大島さんに対して、限りなく恋に近い感情を抱いていて、それは肉欲を伴う恋愛感情というよりは、小学生や中学生が何とも知れぬ間に抱く憧れや敬愛に近い恋心だったた。

好きなのはもちろん、「こんな人が自分の人生にもいてほしかった」という“ないものねだり心”が強いのだと思う。

生きていると何度か訪れる、自分の人生の“これから”が決まる“ターニングポイント”に、もしも大島さんがいてくれたら。

そしてそんな大事な決断を、あの甲村記念図書館のゆったりとした優雅で爽やかな空気の中でできたなら。

そうしたら、自分の人生はもっと上手くいってたんじゃないか。

そんな風に、ことあるごとに思ってきました。

話を戻して、「どこでも住めるとしたら?」

この答えが甲村記念図書館であるというのは、小説の中の住人になりたい
ということではない。

そして、現実世界に甲村記念図書館を模した建物を建てて住みたい。
というわけでもない。

私は、「居場所」としてのこの図書館に憧れたのだ。

つまり、居場所。

どこにでも住めるならば、自分自身の確固たる、決して揺るがない、
そして自分の行動によって作り出した、

そんな居場所に住みたい。

「世界で1番タフな15歳になろう」

そう決意して、この小説の主人公・田村カフカ君は1人で旅に出て、そして甲村記念図書館と出会う。

そこで大島さんが「ここに泊まればいい」と言ってくれた。
そしてそこは彼の居場所になった。

私はとてつもなく憧れた。

居場所は幸せなことに、私にもちゃんとある。

田舎にある実家は私の居場所だ。

いつ帰っても、どんな理由で帰っても、きっと喜んで受け入れてくれる。

そして、東京で自分で借り、自分の財布から毎月お金を払っているアパートの狭い一室も、間違いなく私の居場所だ。

好きなものであふれかえる、私だけの城。

でも田村カフカ君にとっての甲村記念図書館とは何かが違う。

何が違うんだろう。。。真剣に考えてみた。

そして考えた結果それは、

「全く血縁関係のない赤の他人と出会い、繋がり、お互いの存在を居場所にできているかどうか」

なのだと思う。

偶然か必然か、誰かと出会い、関わり、大切な存在となる。
そんな出会い、そんな存在に、強く憧れる。

つまり、私の願いは、
「お互いがお互いの居場所となれるような人と一緒に暮らせる場所に住みたい」

「海辺のカフカ」では、
大島さんがカフカくんに「一方的に」居場所を与えたように見えて、

実は、誰かの居場所となることで、本当の自分の居場所ができた。

そんな話なんじゃないかと思っている。

「またいつかここに戻ってきてもいいですか?」と僕は訪ねる。
「もちろん」と大島さんは言う。

「人には自分が属する場所というのが必要なんだ。」

『海辺のカフカ』(下)p520

物語のラスト。
カフカくんは、図書館という居場所を離れる。

次にいつ来るかはわからない。もしかしたらもう二度と来ないかもしれない。

「世界はメタファーだ、田村カフカ君」「でもね、僕にとっても君にとっても、この図書館だけはなんのメタファーでもない。
この図書館はどこまで行っても──この図書館だ。
僕と君のあいだで、それだけははっきりしておきたい」

『海辺のカフカ』(下)p523

例えもう2度と会わなくても、2人にとってこの図書館は、お互いは、
居場所である。
このセリフはその約束に聞こえた。

「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」


井伏鱒二はこう言ったが、

「さよなら」してもずっと自分の居場所と言える。

そんな場所がこの甲村記念図書館だと思う。

日本のどこにいても、海外にいても、宇宙に居ても、学生でも社会人になっても例えニートになっても。

ずっと自分の居場所である。

そんな場所を持つ人は、きっと強い。

そしてきっと、その場所を思い出すたびに温かい気持ちになれるだろう。

自分の住む家が、そんな場所ならいいな。

自分にとっても、誰か大切な人にとっても。

私はどこにでも住めるならば、そんな場所を自分で作りだしたい。

それが、自分にとってよりより暮らしにつながると思うのだ。

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