求める心は全てを壊す
「仕事をやりながら、家事・育児を継続できている理由はなんですか」
こんな質問をされた時、あなたならどう答えますか?
私の答えとしては「求める心を捨てる」です。
求める心を捨てる、なんて聞くと悟りのように聞こえなくもないですが、
この悟りともとれる考えが私が家事と育児を継続させるためには、とても重要で必要不可欠なものでした。
求めることは苦しみでしかない
ブッタの教えのなかに、
【心は常に求め続けるもので、それに応えようとすることは苦しみでしかない】
というものがあります。この心のことを仏教では渇愛と言います。
まさに私が嫁と結婚して家事をやりはじめた時、子供が産まれてすぐの頃の育児・家事をしている時が、この苦しみの状態でした。
しかし、求める心を捨てた時から、家事・育児に対する向き合い方が変わり、恐ろしく楽に感じるようになりました。
※自分で文章を作りながら、何かの勧誘みたいだ、と思えたので一言、なんの勧誘でもございません。
向き合い方の変化【家事】
我が家では、どんなに仕事で疲れていても、
夕食後の皿洗い
テーブル・床拭き
子供のプレイマットの掃除
翌日の保育園の準備
子供の風呂
洗濯(干す、たたむ、なおす)
全て私がやります。
元々、家事をすることが苦ではなかった、ということもありますが、
この家事の内容は結婚した当初から変わりません。
(結婚当初はまだ子供がいなかったので、子供が産まれるまでは皿洗いとテーブル・床拭き、洗濯のみ)
初めの頃は仕事で疲れた時などは、皿洗いだけでも、床拭きだけでも、してくれないかな、という気持ちがありました。
家事の一旦を嫁に求めている状態でしたので、これぞまさしく求める心、苦しみでした。
家事をやり続けるうちに、求めてもしょうがない、と求めることを捨てた時から、家事をすることが、より楽に感じるようになりました。
まさしく導きだした家事への新しい向き合い方でした。
向き合い方の変化【育児】
育児を経験されたことがある方なら、分かっていただけると思いますが、
育児は求めること、思い通りにいかないことの連続です。
いちいち求め続けることに反応していては、こっちの身がもちません。
求めて、苦しんで、というのを繰り返していくうちに、いつしか求め続けるのではなく、反応するのではなく、
成り行きに身を任せることで、余裕がうまれて、家事と同じように、育児も楽に感じるようになりました。
過剰に反応しないこと
求め続ける心に対しては、そういうものなんだと受け入れ、反応しすぎないことが大切です。
求める心を捨てて、楽に生きましょう♪