私が自分の才能に気づいた瞬間②
(この記事は、こちらの記事の続きです)
私は自分のことを
「埋もれている才能の原石を発掘し、磨いて市場に並べる宝石職人」
だと思っています。
それに気づいた時のお話です。
アマチュアミュージシャンの彼は大学を卒業し、出版社に就職しました。
2年付き合って、彼が入社1年目に私たちは結婚しました。
やがて娘が生まれて、幸せの絶頂かと思いきや、私を待っていたのは産後うつでした。
夫は、私と娘を心配して、家事・育児を手伝うために、会社を退職し、フリーライターになります。
最初の頃は、月収が10万円くらいで、家族3人が池袋のマンションで暮らすには心許ない金額でした。
それで、私はネットで何か収入を得られないかと探し、ヤフオクやアフィリエイトを始めました。
慣れないながらも、自分でホームページを自作し、そこに自分の体験を交えて企業の広告を載せると、親子3人が暮らせるくらいの収入が入ってくるようになりました。
ある日、夫が言いました。
「オレ、1ページいくらの雑誌の記事じゃなくて、自分の名前で本を書いてみたい。半年くらい、雑誌ライターの仕事を休んでもいいかな」
彼の才能は、表現すること、成長し続けることです。
それは、出会った時から気づいていました。
だから、私は彼と結婚したのです。
「いいよ。自分の本を書きなよ。生活費は私がなんとかするから」
そして、彼は自分の本を書き始めました。
雑誌ライターの仕事は結局1年休みましたが、彼の初めての本が書店に並びました。
あの時、私が
「収入がなくなるなんて困る。そんな夢のようなことはやめて堅実に働いて」
と言っていたら、責任感のある彼は、本は書かずに今でも雑誌ライターだったと思います。
でも、彼の才能は、そんなところでは終わらせてはいけないのです。
だって、彼は生まれながらの表現者なのだから。
私が子どもの時から違和感を感じていた「まわりも見えすぎてしまうし、人の考えも読めてしまう」という才能は、ここから人のために使っていくことになります。
夫は、本を出してから水を得た魚のように、次々に本を書き、国内外で35冊の著作を出し、私の友人のつてで、中国でも20回以上ライティングの講座を行い、50名以上の著者をデビューさせました。
彼の表現者としての才能がどんどん花ひらいていきました。
一方、娘は、生まれた時から自由人で伸び伸びしていたので、私は彼女の行く手の邪魔をしないように「手を出さない、口を出さない、育てない子育て」を実践しました。
彼女は、10歳で自分の進路を決め、12歳で家を出て、遠くの中高一貫校の寮に入り、北海道の大学に進学しました。
実は彼女は、東京の私立の最高峰の大学にも受かっていたのだけど、それを蹴って地方の大学に進み、いろいろな体験をしたのち、今は休学して学生起業しています。
娘の才能は、自立していて、自由にやりたいようにさせると、ちゃんと一人で行動することです。
今も動画編集クリエイターとして活動のほか、有名著者さんの秘書として指名され、マーケティングの仕事もしています。
私はと言えば、13年前から主婦の起業塾を主宰し、1000名以上の起業家を育て、6年前から才能発掘コンサルティングを行い、多くの女性の才能を見つけ、言語化してきました。
本人がまだ気づいていない才能の原石を発掘する時の喜びは格別です。
私の両親の家系はどちらも商売人で、商売人の祖先が私の応援をしてくれているようで、私はマーケティングやセールスが得意です。
根っからの商売人なのです。
だから、夫が1年雑誌ライターの仕事を休んで収入がなくなった時も、アフィリエイトで4,900万円もの収入を得ることができました。(その時の経験はこちらの本に全部書いています)
誰かのために(この場合は、家族)と思うと、私は力が出せるのです。
だから、私は今後も宝石職人として、人の才能の原石を発掘し、価値を言語化し、磨いて市場に並べていくことをやっていきたいと思っています。
私が生きづらい、人と違うと思っていた「まわりも見えすぎてしまい、人の考えも読めてしまう」という性質が、実は私のいちばんの才能だったのです。
それを夫や娘、そしてまわりの人を助けていった時に気づくことができました。
これからもその才能を生かして、周りの人を幸せにしていきたいと思っています。
あなたにも、あなただけの素晴らしい才能があります。
眠っているその才能の原石は、誰かに発掘されるのを待っているかもしれまませんね。
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