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切符で学んだ時代の流れ2 ~乗車券編~

 療養中のmominです。押入れを整理していたら,思い出の品が出てきたので紹介します。
 駅の切符です。主に国鉄,JRのものです。

    まだ学生だった頃,そうです,昭和時代です。住んでいたところが貨車の操車場の近く,そして東北本線が通っていたところでしたので,昼夜を問わず電車や列車の汽笛,走行音が町の賑わいのように鳴り響いていました。

    そんなことがあって,鉄道好きになった私。その時に集めた乗車券について紹介します。

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    昭和40年代の硬券乗車券は行き先が表示されていたものが多くありました。高度経済成長時代でしたので,東海道新幹線が象徴するように高速大量輸送が始まったころでもありました。

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    行き先が複数表示されたものもあります。

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    行き先が遠くなると長くなる切符もあります。

    乗車券の表示を見るとすぐに行き先がわかるので,この表示はみんなにやさしいと子供のころから思っていました。

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    対照的に自動券売機では,金額の表示が多いようでした。この表示をすると,行き先が違っても同じ金額であればその乗車券1枚発券するだけで済みます。
    でも,利用者は自分の行き先の金額を確認してから購入しなければなりませんでした。

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    昭和50年代では当初は乗車券の裏は白でしたが,自動改札になると黒になりました。これは偽造を防ぐため,改札での混雑を解消するためと思いました。

    また,表面の表示も大きく変わりました。下地の模様も硬券の時と変わっています。また,発行年月日とともに,購入時刻も印字されるようになりました。

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    自動改札になったために,入鋏はなくなった代わりに,小さな穴があけられるようになりました。まだ自動改札が設置されていない駅では駅員さんがスタンプを押すようになりました。

    このように,大都市圏から地方都市へと乗車券は姿を変えて利用者に使われるようになりました。生活に,人生の転機に,旅の思い出に寄り添う鉄道のすがたが,かすんでいくような思いが私の胸に広がってきます。ん?私の病気の後遺症もあるのかもしれませんが…。

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    それでも,遠い行き先ですと手のひら大の切符が窓口で渡されます。今でも同じ光景が見られますが,大きく違うのは,手書きで書かれている箇所があることです。当時は裏が白色でしたので,自動改札があってもそこを通らず,駅員さんに直接渡して入鋏の代わりにスタンプを押してもらったり,改札口を出たりすることになります。

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    FACE TO FACE これが本来の鉄道の在り方だったのではないかと思います。今の時代はみんな忙しすぎます。何にでも速さと効率を求める風潮にあります。
    地方のローカル線ではワンマン運転が常態化しています。無人駅も多くなりました。利用者も減少しています。それをコロナが追い打ちをかけているようです。赤字で廃線を余儀なくされることも…。

    駅員さんと列車(電車)運行に携わる人,利用者は入場券,乗車券を通してつながっていると思います。それぞれの手が1枚の切符を作って利用者の手に渡されます。

    利用者はそれで通勤通学したり,集団就職など人生の節目に利用したり,思い出づくりの旅に出たりします。高速・大量輸送とは結びつきが薄いところですね。でも,そのような別の魅力を鉄道は私たちに与えてくれていたことは事実だと私は確信しています。

    そんな魅力的な切符の姿を,次回は特急・急行券や指定席券を通して紹介したいと思います。

    最後までご覧いただき,ありがとうございます。次回もご覧いただければ幸いです。



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