【人相学】『武者鑑』楠正行/弁内侍/氏清室/山名氏清 4 mominaina 2024年1月12日 15:54 出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二』楠正行くすのきまさつら正行まさつらは、正成まさしげの総領そうれうにて、父ちゝより櫻井さくらゐの駅えきに於おいて、王室わうしつ 恢復くわいふく の遺言ゆいげんをうけ、亦また、母はゞの教諭きやうゆによつて死しを止とゞまり、昼夜ちうや 復讐ふくしうを忘わすれずといへど 時とき至いたらず。而しかも、正行まさつらは 面上めんじやうに肉にくなく、白眼はくがん、常つねに 青色せいしよくを帯おび、額ひたい 細ほそく長ながく、耳みゝ低たれて、歯は疎そにして 不連つらならず 。是これ 夭死わかじにの相さうなりと。己おのれに相さうし、其その上うへ多病たびやうなりければ、徒いたづら に 牗下ようかに死しさば、何なんの面目めんぼくあらんやと。竟つひに 軍いくさを発おこして 屡しば/\ 尊氏たかうぢと戦たゝかひ、毎度まいど 利りを得うるといへど、全功ぜんこうをなさず。廿五歳さいにて自尽じじんす。寔まことに 惜をしむべきの英雄ゑいゆう、嘆たんずべきの人傑じんけつなり。弁内侍べんのないし内侍ないしは、吉野よしのの御所ごしよの 官女くわんぢよなり。或ある時とき、高師直かうのものなを の為ために奪うばはれ行ゆくを、正行まさつら 途中とちうにて出いで會あひ 打うち散ちらして内侍ないしを取とりかへし、御所ごしよへ 奉たてまつ れば、帝てい 叡感ゑいかんの余あまり内侍ないしを下くだされれば、正行まさつら 怡よろこんで妻つまとなし、正教まさのりを生産うましむ。後のち、正行まさつら 討死うちじにしてより尼あまとなり、大和国やまとのくに 龍門りうもんに 菴いほりを結むすびてありしとかや。内侍ないしは 美顔びがん言葉ことばに尽つくしがたく、殊ことに眉まゆ 書ゑがきたるごとく 美うつくしく清きよらかなりしといふ。是これ、陰人いんじんの助力たすけを得うるの相さうといへり。氏清室うぢきよのしつ氏清うじきよの室しつは、良人おつと 討死うちじにの後のち、郎■らうとう [當+从] らの助たすけで、紀州きしうの根来寺ねごろでらへ落おち行ゆき見みるに、輿こしの内うちにていつか自害じがいしてありければ、驚おどろきて介抱かいほうするに 段ゝだん/\息いきいでたり。此この時とき、子息しそく 時清とききよ、満氏みつうぢは 命いのちを惜をしみて、法師ほうしに形さまを換かへえてありしが、此この 縡ことを聞きゝて、尋たづね行ゆき、母はゝに逢あはんといふ。母はゝ 怒いかつて、武士ぶしの子ことして 父ちゝの討死うちじにを余所よそにする不覚人ふかくじんには目通めどほり 不叶かなはずとて不逢あはず。竟つひに息いき絶たへたり。寔まことに、烈婦れつふとも言いひつべし。此この室しつ、掌たなそこ の中心なか●●にかくのごときの紋もんありしが、是これ 自みづから 死しするの手相しゆさうとはいへど、可惜をしむべき の婦人ふじんなり。かくのごとき紋山名やまな氏清うぢきよ氏清うぢきよは、伊豆守いづのかみ 時氏ときうぢの四男よなんなるが、足利あしかゞ家け 御おん相伴しやうばん 衆しゆう 五家ごけの隨一ずゐいちにて、五ご箇国かこくを領れうし、何なに不足ふそくなき身分なれど、婿むこ 播磨守はりまのかみ 満幸みつゆき、将軍家しやうぐんけを怨うらむることあるゆへに、一族いちぞく合躰がつたいして南朝なんてうの御おん味方みかたに属ぞくし、明徳めいとく二年十二月大晦日おほみそか 都みやこへ押おし寄よせたりしが、京きやう勢ぜい 強つよくして、大おほいに敗北はいぼくなし、氏清うぢきよ以下いか 八百余人よにん不残のこらず乱軍らんぐんのうちに死しせり。氏清うぢきよは、両りやうの 眉頭まゆがしらより 眉尾まゆ●りに 白気はくき弓刀きうたうの形かたちをなせしが、是これ 劔刀けんたうに命めいを失うしなふの相さうなりとて、此この度たびの 叛逆ほんぎやくを妻つまの諫いさめけれど不聞きかずして、終つひに亡ほろぶ。『武者鑑』の人物一覧はこちら → 【人相学】『武者鑑』人物まとめ 👀筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖 ダウンロード copy #古文 #古文書 #人相 #人相学 #武者鑑 #楠正行 #弁内侍 #山名氏清 4