![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/124229837/rectangle_large_type_2_c97f343b3a6716a418ac894201608ae5.jpeg?width=1200)
【人相学】『武者鑑』景季妻/梶原源太景季/朝比奈三郎義秀/松島局
![](https://assets.st-note.com/img/1702264805549-3mLydeTXn7.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1702264805508-m49KL3VGdF.jpg?width=1200)
景季妻
景季の妻は、優にやさしき女にて、或時 櫻を手折て通りしを、頼朝 御覧じて 哥を 詠かけ給ひしに、言下に 御返哥を申しければ、大いに 御感ありしと言り。
後に、景季との 妻を離縁せんといふことを聞し召て、斯るやさしき女を不縁することあるべからず。
■ [■は且+ハ]、此頃 見し時、左の眼の下に薄紅き色有し。是、懐妊に 疑ひなく、殊に 男子なるべし。我、むかし、或 相者に聞し㕝ありとあれば、景季 離縁のことを思ひとゞまりけるに、誠なるかな、月満て、玉の如き男子を 出産なす。景季は、是 君の賜なりとて、悦び 寵愛をなしけるとかや。
※ 「御感」は、高貴の人などが深く感動すること。
※ 「相者」は、人相を見てその人の運命や吉凶などを判断する人こと。人相見。
![](https://assets.st-note.com/img/1702264805549-jirKqNttS4.jpg?width=1200)
梶原 源太 景季
景季は、平三 景時の嫡子にて、其 心ざま 父に似て、奸曲の 所ありといへど、勇は 坂東に名を 軣かせし 武士にて、宇治川の先陣をあらそひ、又は、生田の森の先蒐などは、実に 諸人の耳目を 驚す。
景季は、髪 粗 短く、眼神 蔵納め、額に 一字紋をなす。是、性剛にして、心に 曲あるの 相なれど、全躰 心ざまにやさしき 所ありて、よく哥を詠み、又、父に孝あり。故に、父の悪を助く、惜むべし。其 行跡 美としがたきを。
※ 「奸曲」は、心に悪だくみがあること。
※ 「性剛」は、気が強いこと。
![](https://assets.st-note.com/img/1702264805541-oCP1n6JnsE.jpg?width=1200)
朝比奈 三郎 義秀
義秀は、和田義盛の三男。実は、木曽義仲の 胤にして、母は 巴なり。其 剛勇、父母に似て、曽我五郎との 錣引、或は、和田合戦の時、御所の總門を破る杯の怪力は、能 人の知る 所なり。故に、画に 多く 面体を暴悪にして、其 勇気を視せんとすれど、実は 左にあらず。
古今の 美男にて、眼中に光りを含、頦 圓く、豊に満て、言語謹詳にして、自 神気 寛大にて、至つて 隠厚の相なりしとかや。
※ 「錣」は、甲冑の一部で、首まわりを防御するために兜の鉢の左右・後方につけるもの。
![](https://assets.st-note.com/img/1702264805553-xGMAPpHdVC.jpg?width=1200)
松島局
局は、京家のやごとなき方の息女なるが、時勢につれて 鎌倉へ下り、営中に 宮仕をなしゐたるが、ふと 朝比奈義秀を見初て、深く恋慕なせしが、竟に 想ひを不遂。
義秀は、和田合戦のとき 討死と聞、泣々 髪を下して、都へ登り、東山の 邉に 菴を結びて住しとかや。
局は、都の生産といひ、殊に 美人の聞へあれど、頭 極小さくして、髪いと長かりし。如此 の人は 他郷に往て難あり。又、良人に 縁なしといへり。是を遁るゝには、先祖の墓所を大切にすべしと、麻衣仙翁ある書に載られたり。
※ 「京家」は、藤原四家(南家、北家、式家、京家)のひとつ。
※ 「麻衣仙翁」は、五代時代の伝説の仙人で、「相は心に従って生じ、心は相に従って生ず」という言葉を残したとされます。
『武者鑑』の人物一覧はこちら
→ 【人相学】『武者鑑』人物まとめ 👀
筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖