この note では『大和名所図会』の挿絵ページを翻刻します。本文ページは大正時代の活字版があるのでそちらを参照してみてくださいね。👀 → 国立国会図書館デジタルコレクション『大日本名所図会 第1輯 第3編』(大正8年)
※ 「公事根源」は、室町中期の有職故実書。
※ 「國栖乃奏」は、国栖奏。古代部族「国栖」の歌舞で、応神天皇が吉野宮へ行幸したときに、国栖の人が来朝し、醴酒を献じて歌を歌ったと伝えられます。
※ 「江家次第」は、平安時代後期に大江匡房によって編纂された有職故実書。
※ 「新古今」は、新古今和歌集。
※ 「春日の」は、春日野。
※ 「たき坂」は、滝坂の道。
※ 「千里楓林炬樹深 無朝無暮有猿吟」は、董其昌(明代末期の文人)の漢詩。「千里楓林煙雨深 無朝無暮有猿吟 停橈靜聽曲中意 好是雲山韶護音 … 」
※ 「後拾遺」は、後拾遺和歌集。
※ 「能宜」は、平安時代中期の貴族・歌人、大中臣 能宣。
※ 「はせを」は、芭蕉。松尾芭蕉。
※ 「続拾遺」は、続拾遺和歌集。
※ 「人丸」は、柿本人麻呂。
※ 「 春日祭 」は、春日大社の例祭。昔は 二月と十一月の上申日(その月の最初の申の日)に行われていましたが、明治十九年(1886年)以後は年に一度、新暦の三月十三日に行われています。
※ 「大宮四所」は、春日大宮四社大明神。春日祭神四座。
※ 「仁明帝」は、仁明 天皇。在位、天長十年(833年)二月二十八日から嘉祥三年(850年)三月十九日。
※ 「奏聞」は、 天子に奏上すること。
※ 「弁乳母集」は、三条天皇皇女禎子内親王の乳母、藤原明子の歌集。
※ 「一とせにふたゝびまつる」は、一年に二度祭る という意味。
※ 「常陸」は、奈良時代の歌人、高橋虫麻呂のことと思われます。
※ 「掛鳥」は、春日若宮祭に社前に掛け供える鳥獣のこと。
※ 「新勅撰」は、新勅撰 和歌集のこと。
※ 「後京極摂政」は、九条良経のこと。
※ 「擔茶屋」は、担茶屋。茶釜・茶器・水桶などの茶道具一式を天秤棒にかつぎ歩き、社寺境内や路傍で茶を立てて売る人のこと。
※ 「景清門」は、転害門のこと
※ 「万菜」は、大和万歳のこと。奈良県北葛城郡の 広瀬、窪田、箸尾、小林などの村落でで発達した千秋万歳。服装は侍烏帽子に素襖姿で、太夫は扇、才蔵は鼓を持ちます。
※ 「湘夕」は、秋里籬島。湘夕は字。
※ 「良辨」は、良弁。奈良時代の華厳宗の僧。通称、金鐘行者。大仏造像にあたり、佐伯宿禰今毛人や行基などとともに聖武天皇を助け、天平勝宝四年(752年)の大仏開眼供養会のあと、初代東大寺別当に任ぜられました。
※ 「執金剛神」は、執金剛神。手に金剛杵を持ち仏法を護る夜叉神。
※ 「読誦」は、声を出して経文をよむこと。仏語。「読」は目で見てよむこと、「誦」はそらで唱えること。
※ 「金輪 聖王」は、転輪王(古代インドの伝説上の理想の帝王)のひとつで、金の輪宝を感得し、須弥山の四州を統治する王のこと。転輪王。
※ 「天長地久」は、天地が永久に不変であるように、物事がいつまでも変わらずに続くこと。
※ 「叡聞」は、天子がお聞きになること。
※ 「紫雲」は、念仏行者が臨終のとき、仏が乗って来迎する雲のこと。
※ 「中原師光」は、鎌倉時代の官人、歌人。
※ 「業平朝臣」は、在原業平のこと。平安時代の貴族、歌人(六歌仙のひとり)。
※ 「二条の后」は、清和天皇の女御で、のちに皇太后となった二条后(藤原高子)のこと。
※ 「平の京」は、平安京のこと。
※ 「故京」は、古い都のこと。旧都。
※ 「具し」は、ここでは連れだって行くという意味。
※ 「せうと」は、兄人。藤原基経は二条后の兄。
※ 「国経大納言」は、藤原国経のこと。平安時代前期の公卿、歌人。
※ 「いせ物語」は、伊勢物語。平安時代に作られた歌物語。
※ 「古今」は、古今和歌集。平安時代に編纂された歌集。
※ 「神さびて」は、古色を帯びておごそかな様子。神さびる。
※ 「藤原光俊」は、鎌倉時代の歌人。
※ 「続千載」は、続千載和歌集。
※ 「光明峯寺入道」は、鎌倉時代前期の公卿、九条道家のこと。
※ 「其角」は、江戸時代前期の俳諧師、宝井其角。
※「寂蓮法師」は、平安時代末期から鎌倉時代前期の歌人。俗名 藤原定長。
※ 「あげ雲雀」は、揚げ雲雀。
※ 「雲裡」は、江戸時代中期の俳人、渡辺雲裡坊。
※ 「飛火」は、飛火野のこと。
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖