
【観音霊験記 秩父巡礼】第廿三番小鹿山松風山音楽寺/畠山基国の家来内山源蔵

『観音霊験記 秩父巡礼廿三番小鹿山松風山音楽寺 畠山基国の家来内山源蔵』

観音霊験記 秩父順禮 廿三番 小鹿坂 松風山音樂寺
おんがくの みこゑ なりけり をがさかの
しらべに かよふ 峯のまつ風
奉額
松は琴 浪はつゞみよ 舞ふ小蝶

畠山基國の家来 内山源蔵
當山は慈覚大師、此処に堂宇を建給ふ時、余多の小男鹿来つて、道の案内をせしゆへ小男坂といへり。誠に絶景の地にて、灵驗も又あまたあるなかに、畠山基国の家来 内山源蔵は観音をよく信じける。

時に、大内介義弘の討手を基国命ぜられければ、源蔵も出陣の役にあたり、武門の面目とはいひながら、七十にちかき老母に離るゝことを深くなげきければ、老母はこれをいさめていふやう
「此守佛は、秩父音楽寺の御影なり。これを懐中して母をおもふときは『南無大慈大悲』と唱へよ。必ず勝利あるべし」と渡しければ、

よろこびて兜のうちにおさめ出陣せし処、この守のおかげにや、危き矢さき剱先をのがれ、終に義弘敗軍におよび基国勝利を得て、凱陣のうへにて源蔵は功成、名とげて、身を退き、母もろともに出家となりて観音を供養せしに、なを灵驗を蒙れりとなり。
※ 「出家となりて」は、「出家となつて」かもしれません。
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖