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【観音霊験記 秩父巡礼】二拾八番橋立石竜山橋立寺/郡司報蛇身
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『観音霊験記 秩父巡礼二拾八番橋立石竜山橋立寺 郡司報蛇身』
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観音霊験記 秩父順禮二拾八番 橋立石竜山橋立寺
霧の海 たちかさなるは 雲の波
たぐひあらじと わたる橋立
奉額
馬頭尊の御堂、さながら大岩を背負たるさまなれば、大悲のみこゝろを思ふて
春●●● 吾は重荷の つゝら石
※ 「わたる橋立」の「わ」は、「い」(または「は」)のように見えますが、他の文献と照らして「わ」と読みました。参考:『百番観世音霊場記』『西国・坂東・秩父百番観音霊験記 秩父』『西国・秩父・坂東観音霊場記図会 (秩父)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「馬頭尊」は、馬頭観音のこと。
※ 「つゝら石」は、葛籠石と思われます。
明治時代の作家 幸田露伴が「知々夫紀行」というエッセイのなかで、秩父二十八番観音への参詣を記しています。鍾乳洞を訪ねる様子などとても興味深いので、よかったら読んでみてくださいね。『露伴叢書 下(知々夫紀行)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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郡司報蛇身
昔、此村の者、頓死して閻王の前に往ければ、一人の武士を引出して、此者を知るやとありよく見れば、我領主の郡司といふものにて、生得邪見の者ゆへ、殊に驚きて敬ひければ、
※ 「𢈘」は、鹿。
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冥官のいふやう
「此郡司、娑婆にて大惡を尽し、なかんづく地蔵の像を毀ては、無間に堕すべき者なりしが、𢈘を追て、橋立寺にいたり矢尻をもて、一度燈明を □ たてたる功徳によつて、永劫その難を免るゝといへども、今より蛇身の報をうけて、娑婆にいづるなり。是を知らしめん為、こゝに呼ぬ。とく皈れ」
といふ声の下に頓死の者 蘇生りて、里人等にしか/\と語る。
※ 「とく皈れ」は、疾く帰れ。
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其比より、此 霧の海といふに、悪龍出て人馬を喰ふがゆへ、村民此堂に祈念しければ、御堂のうちより白馬出て、彼龍に呑れ、終に其悪龍得脱して蟠り石となりたる姿、今も洞中に顕然たり。こゝを以て石龍山といふ。
當山の奥の院は、日本に一か二といふ灵■(穴+石)なり。
※ 「灵■」は、霊窟。
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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