寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井了意。地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。マガジンはこちら→【 艱難目異志(かなめ石)】
全十章を一章ずつ読んでいきたいと思います。
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※ 「千えう、万えう」は、千葉、万葉。
※ 「田子」は、農夫のこと。
※ 「早苗」は、苗代から田へ移し植えるころの稲の若苗。
※ 「田うた」は、田植え歌のこと。
※ 「かはづ」は、蛙。
※ 「朔日」は、ついたち。一日。
※ 「巳のこく」は、巳の刻。現在の午前10時頃。
※ 「うしとらのかた」は、丑寅の方。北東の方角のこと。
※ 「上下」は、ここでは、身分の高い人も低い人もという意味。
※ 「世なしをし/\」は、ここでは、地震除けのために唱える呪文。
※ 「すはや」は、急の出来事に驚いたときなどに発する感嘆詞。それ、あっ、すわ。
※ 「世がめつして」は、世が滅して。
※ 「うへをしたにもてかへし」は、上を下にもて返し。もて返すは、混雑してごったかえすという意味。
※ 「やごとなき」は、やんごとなき。
※ 「をびときひろげ」は、帯解きひろげ。
※ 「さばきがみ」は、捌き髪。ざんばら髪、ここでは髪をふり乱してという意味と思われます。
※ 「おめきさけぶ」は、喚き叫ぶ。
※ 「ふるなゆ」は、古萎ゆでしょうか。もしくは、「なゆ」はなゐで、地震のことでしょうか。
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖