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【人相学】『武者鑑』土肥次郎實平/實平妻/板額女/浅利與一義遠

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二


土肥次郎とひのじらう 實平さねひら
実平さねひらは、鎌倉かまくら草創さう/\功臣こうしんにて、こと智勇ちゆうちやうじ、いちたににては、その 正面せううめんせむるに、軍功ぐんこうかたならぶるものなし。

をしむべし。その 遠平とをひらその 維平これひらとき和田わだ義盛よしもり叛逆ほんぎやく同心どうじんして、生捕いけどられ、建暦けんりやく三年 うるふ九月、ちうせられ、流石さすが名家めいか 一時いちじ退轉たいてんす。

実平さねひらは、たい肥満ひまんすといへど、ひさしくして、不動どうぜずまなこ神光しんくわうありて、まゆ やなぎるゝにたり。これゆうにして 信義しんぎあるの さうなりといへど、わづかだいにして ほろびたり。


實平妻さねひらのつま
実平さねひらつまは、才知さいち すぐれしものにてありけるが、頼朝よりともさうて、これ 天下てんがあるじとなり給ふひとなりとて、良人おつとをすゝめて 御味方みかたをさせしに、石橋いしばしやまいくさやぶれて、土肥どひ杉山すぎやまかくれ給ふときゝ郎黨らうだう一人ひとり出家しゆつけ さしめ、これ日々ひゞ食物しよくもつおくらせしゆへに、頼朝よりもとも 主従しゆ●●う餓死がしまぬがれしとかや。

その 以前いぜんこのつま実平さねひらめととき一族いちぞく その みにくききゝつたへて、これいさむるに、実平さねひら わらつて、ひとその かほろんず。われは、そのこゝろを 論ろんずとて、つひ妻女ざいぢよとはなせしといへり。しやうすべし。この 妻女さいぢよその かほはいざしらず、意中こゝろ呉湖ごこきよきにたりし。


板額女はんがくぢよ
板額はんがくは、越後えちごじやう小太郎こたらう 資盛すけもり姨母おば也。その 面貌めんぼうみにくきこといふべからず。ゆへに、えんなくして、すで三十路みそぢうへこへしが、力量りきりやうひとすぐれて、よく 強弓がうきうをひく。資盛すけもり謀叛むほんとき軍師ぐんしとなりて、鳥坂とりさかしろこもりて、寄手よせて度々たび/\なやませしが、藤沢ふぢさわ清親きよちか両股りやうもゝぬかれて、生捕いけどりとなり、鎌倉かまくらひかれしが、浅利あさり与一よいちして、二ぢよ出産うむまことに、古今こゝん未曽有みぞう勇婦ゆうふなれど、敵方てきがたしやうしてはづいろなきはなんぞや。

かほ意中こゝろおなじくしてろんずるに ところなし。たゞゆうもて高名かうめいなる而已のみ


浅利あさり 與一よいち 義遠よしとお
義遠よしとをは、新羅しんら三郎さぶらう末孫ばつそんにして、世々よゝ 甲斐国かひのくに居住きよぢうなすが、義経よしつねぞくして、一谷いちのたにいくさにも 大功たいこうあり。

のち二代にだい将軍しやうぐんときじやう小太郎こたらう 叛逆ほんぎゃくせしときも、討手うつてむかつてこうありけるが、かの 板額はんがく女の みにくき不言いはずかく勇婦ゆうふはらには勇士ゆうしうまるゝものとて、こうかへて、板額はんがくもふし ひ、つまとなせしひとなり。

義遠よしとをは、當門むかふば二●にまい おほいにして、ひとしく あきらかなり。これ四方しはうあぐるのさうといへり。



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