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【人相学】『武者鑑』日本武尊/乙橘媛/神功皇后/武内宿祢
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日本武尊
尊は、景行天皇 第二の王子にして、初め 小碓の尊と申 奉 る。寔に 武勇絶倫にて、十六御の御時、川上の ■師 [■は白+儿+斗] をうちとり玉ひ、夫より 東国の 荒夷 らをこと/\く誅し給ふ。
尊は、御丈 一丈ありて、容貌魁偉にして、勇猛並ぶかたなく在しけれども、惜かな、御頭に 少しの 偏欹ありて、眉濃く 短く、中眼にして 水溝なく、一面なりしとかや。
是なん 世を早く辞し玉ふの 御相なりしといへり。将して、御年 三十歳にて、伊勢の 能褒野にて 薧 給ふに、白鳥と化して、神と成玉ふ。是、天明自然の 相に 叶 を 示し給ふもの也かし。
※ 「川上の ■師 [■は白+儿+斗] 」は、川上梟帥。
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乙橘媛
穂積氏 忍山の 宿祢の 女にして、日本武尊 の 御愛妃なり。
尊 東征の日、上総国へ 渡らんと做し給ふ。海中にて、俄 に 暴風 起りて、御舟の 覆らんとする時、是 竜神の 祟りなれば、尊の 御命に換らんと、姫は 千尋の 海底に 沈んで、水の泡と消給ふゆへにや、風 治まりて、御舟は 恙なく 上総へ 着しとなん。
媛は、古今の 国色あれど、髪の中に 青黒き 血脉ありて、■ [■は穴+木+未] るに眼口を閉玉はざかしとかや。是、水によつて、世を去玉ふ相なりといへり。寔に、節女といふも、愚にて 操 めでたき 鑑 なり。
※ 「 国色」は、その国で一番の容色、絶世の美女のこと。
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神功皇后
仲哀天皇の 御后にして、應神天皇の 御母也。天皇軍中に 崩給へば、皇后 自 斧を 提て、三軍を下知し、筑紫の 熊襲を討とり、夫より三韓を征伐ありしに、忽 降参を做す。御 寿 百歳にて 崩御あり。
皇后の御㒵は、不肥 不痩、中肉して、眉頭に 痣ありて、鼻圓く、歯小さけれど、列よく、歯貟 三十二枚あり。耳は 長く 光ありて、周身の 皮膚 細かに 艶ありて、小児の 肌のごとし。長寿 の 御相なりしといへり。
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武内宿祢
宿祢は、景行天皇 十六年に 出産、帝王 六代に 奉仕して、忠勤類ひなし。就中、神功皇后 三韓 御征伐の 砌、その功 莫太なるは、人 皆 知る 所なり。仁徳天皇の七年、三百十一歳にて 薧ず。
大江の匡房 云、宿祢は 面長く、少し 痩たれど、額 濶く、豊に 高し。眉は 濃く、緑の如く、眼は 細く、烏晴 大に 金 の 光ありて、口方に 濶く、耳厚し。一身 七尺、声 鐘 の如くして、常に 気緩く、自然として恐れず、座する体、恰 も 山の如し。是、類ひなき 長寿の 真相なりといへり。
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