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『かなめ石』上巻 八 八坂の塔修造 并 塔のうへにあがりし人の事
寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井了意。地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。マガジンはこちら→【 艱難目異志(かなめ石)】
八章では、修繕中の八坂の塔での様子が伝えられています。
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八 八坂の塔修造 并 塔の上にあがりし人の事
八坂の塔は、いにしへ 後鳥羽院いまだいとけなくおはしましける御時に、御くちすさびに、東寺の塔と八坂の塔とくらべてみれば、八坂の塔いまだうくい/\やとおほせられしとかや、右衛門の局が日記にはしるしをきけり。
ある時、この塔のゆがみたりしを、浄蔵貴所といへる聖いのりなをされけり。それよりこのかたは、ふたゝび 浄蔵貴所も世に出給はねば、この塔ゆがみても、いのりなをす人もなかりしに、よき事を案じいだし、ゆがみたるうしろのかたに池をほりぬれば、をのづからなをるゆがみのなをりぬれば、その池をうづむとかや。しかるにこのころ、八坂の塔のうへそこねて、雨もり侍べるとて修理に及び、一紙半銭をいはず、十方だんなの心ざしをもとむ。世のわかきものども奉加にいりて、その塔のうえにのぼりて結縁する事侍べり。
※ 「八坂の塔」は、法観寺の五重塔。
※ 「くちすさび」は、口遊び。
※ 「いまだうくい/\」は、そのような文字に見えるのですが、意味が読みとれないので自信がありません。
※ 「浄蔵貴所」は、平安時代中期の天台宗の僧侶。天暦二年(948年)に八坂の塔が西に傾いた際、浄蔵が加持祈祷をして元に戻ったとされるそうです。
※ 「いのりなをされけり」は、祈り直されけり。
※ 「うづむ」は、埋む。
※ 「うへそこねて」は、上損ねて。
※ 「雨もり」は、雨漏り。
※ 「一紙半銭」は、ごくわずかなものという意。特に、仏家で寄進の額のわずかなことをいうようです。
※ 「十方だんな」は、十方檀那。あちこちの檀家のこと。
※ 「奉加」は、神仏に金品を寄進すること。
※ 「結縁」は、仏語。仏・菩薩が世の人を救うために手をさしのべて縁を結ぶこと。
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五月朔日、けふしも あまたこの塔にのぼりつゝ、四方のけしきを見わたして何心もなかりし所に、にはかに大なゐふり出して、塔のゆする事いふばかりなく、露盤へき/\として、宝鐸 りん/\とひゞきけるを、只わかきものどもしたにありてうへなるものをおびやかさんとて、塔をゆすると心得て、うへなるものども 声をそろへて「いかにかくわろき事なせそ、さなきだにあやうくおぼゆるに、これいか成事ぞ、只をけや/\」といふほどこそありけれ。
※ 「けふしも」は、今日しも。今日にかぎってという意味。
※ 「あまた」は、数多。たくさん。
※ 「何心」は、どのような考え。何心。
※ 「大なゐ」は、大地震のこと。
※ 「露盤」は、仏塔の相輪のいちばん下にある四角い盤のこと。
※ 「へき/\」は、冪冪でしょうか。雲や塵などが一面におおうさま。
※ 「宝鐸」は、寺院の堂塔の四隅の軒に吊されている大きな鈴のこと。
※ 「りん/\」は、リンリン。
※ 「わかきものどもしたにありて」は、若き者ども下にありて。
※ 「うへなるものをおびやかさんとて」は、上なる者を脅かさんとて。
※ 「さなきだに」は、然なきだに。そうでなくてさえ。
※ 「あやうく」は、危うく。
※ 「いか成事ぞ」は、これいかなる事ぞ。
※ 「只をけや/\」は、そのような文字に見えるのですが、意味が読みとれないので自信がありません。
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塔のしたを見おろせば、女おとこ子どもまであはてふためきて、家のうちよりはしり出つゝ「此塔も只今地にたをるゝぞや」といふ声のかすかに聞えしにぞ、地しんなりとこゝろづきて、おりくだらんとするに、手ふるひ、あしなえ、塔はかたぶきうなだれめき/\といふ。
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四方の空色はくろけぶりのごとくに侍べりしが、とかくしてやう/\ゆりやみしかば、●とぞしてにげおり、はや●まふ一念ばかりに、塔のしたにはおりくだりけれども、気をとりうしなひ、目をまはし、人心地もなく、籠にのり、つえにすがり、家ゝに立かへりても、今に心地わずらひて、おきふしなやむものもあり。
※ 「人心地」は、生きた心地。
※ 「おきふし」は、起き臥し。起きたり寝たり。
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ある人、此 塔に結縁すとて、数珠つまぐりてのぼりけるが、ゆられておりくだりつゝかくなん
椎柴の こりはてにけり 後生だて
いまは八坂の たうとげもなし
※ 「数珠つまぐりて」は、数珠を指先で操って。爪繰る。
※ 「椎柴」は、ここでは喪服のことと思われます。
※ 「こりはてにけり」は、懲り果てにけりでしょうか。
※ 「後生だて」は、後生立。敬虔な信者をよそおうこと。
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筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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