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東京名物百人一首(21) 本所・四ツ目牡丹/新川・酒問屋/折詰弁当・弁松/川蒸気・千住吾妻汽船会社
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待賢門院堀川
ながゝらん 盛りと知るや 牡丹花の
みごとに咲は 四ツ目とぞ思え
【元歌】
長からむ 心も知らず 黒髪の
乱れて今朝は 物をこそ思へ
※ 「四ツ目」は、四ツ目牡丹園(本所四ツ目橋近く)のこと。
挿絵には、見事な白牡丹が描かれています。
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四ツ目牡丹園の園主は、嘉永二年(1849年)に植木屋「植文」を創業した成瀬文蔵です。明治三十三年(1900年)に出版された『日本之名勝』に、次のように紹介されています。
四ツ目牡丹(東京)
本所区四ノ橋際、徳右衛門町にあり。園主を成瀬文蔵といひ、夙に、この花の栽培を以て称せられ、都下に牡丹を培養するもの多しといへども、遂にこの園の右に出づるものなし。
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現在も、七代目の方が九段で造園業をされていて、毎年四月に見事な牡丹を披露されているそうです。(株式会社富士植木Webサイト「会社概要」「牡丹園 〔 2024〕」)
参考:『東洋大都会(植文)』『大日本人物名鑑(牡丹園文蔵君)』『東京法人要録2版(合名会社牡園文蔵店)』『東京の植物を語る:郷土研究』『〔江戸切絵図〕深川絵図(四ツ目ハシ・徳右衛門町)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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後徳大寺左大臣
酒庫の 並ぶる方を ながむれば
唯 新川の 影ぞ繁れる
【元歌】
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる
※ 「新川」は、現在の中央区新川にあたる。霊岸島とも呼ばれ、江戸時代は酒問屋の町でした。
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出典:国立国会図書館デジタルコレクション『江戸名所図会 7巻 [2]』
挿絵には、五つの商標が描かれています。
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大関 名酒 (しめ縄)
日本盛 醸 名酒 (雪輪)
正宗 名聲施四海 本家 ●功賞 (桜花)
東 ● 岸田 ●功賞 (松)
戎 宝之市 本嘉納 名酒 (鯛)
いづれも「灘五郷」の名酒です。「東 ●」は判然としませんが、鳴尾(現在は西宮)の「東遊」では … と思います。
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※ 「灘五郷」は、今津郷、西宮郷、魚崎郷、御影郷、西郷の五つ。大関(今津)、日本盛(西宮)、正宗(魚崎)、戎(御影)。
※ 「名聲施四海」は、「無聲の聲は四海に施す」にかけた言葉と思われます。(有声の声は百里に過ぎず無声の声は四海に施す 淮南子「繆称訓」)
参考:『清酒醤油商標いろは索引(大関)(日本盛)(桜正宗)(戎鯛)(東運ほか)』『日本社会事彙 下巻 2版(灘五郷著名の清酒)』『灘酒沿革誌』『大日本酒醤油業名家大鑑(正宗)』『江戸名所図会 7巻 [2](霊巌島)』『東京郷土地誌遠足の友(霊岸島)』『東京繁昌目鏡(酒問屋)』『〔江戸切絵図〕築地八町堀日本橋南絵図(灵岸島丁)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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道因法師
旨味あじ 鮹の桜煮 玉子焼
折に詰るは 涙なりけり
【元歌】
思ひわび さても命は あるものを
憂きに堪へぬは 涙なりけり
※ 「桜煮」は、小口切りにした蛸を、醤油とみりん、または、たれ味噌で煮た料理。
挿絵には、日本橋魚河岸の弁当屋「弁松」のしおりと、その後ろに魚河岸で働く人たちの商売道具 鳶口が描かれています。
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魚がし 安針町 御弁當
弁松製
「弁松」は、樋口与一(初代 松次郎)が文化七年(1810年)に日本橋魚河岸に開いた食事処「樋口屋」が始まりです。
忙しい魚河岸人のために、食べ残した料理を経木や竹皮に包んで持ち帰りできるようにしたことが評判になり、二代目が弁当の販売を始めます。
三代目 松次郎ときに、食事処を閉めて折箱料理専門の「弁松」を創業しました。「弁当屋の松次郎」略して「弁松」。
明治時代に出版された『東京百事便』に次のように記されています。
弁松
日本橋安針町にあり。此家は一万以上の弁当も容易に引受直の調進す。又、店先に煮肴料理等あり。これは各所の料理番魚河岸へ買出に来る者の食する為にて、其味の美なること会席料理も及ぶ所にあらず。若し此美味を知らんと欲するものは、朝早に重箱を持せ使を走せて味ふべし。
現在も老舗の弁当屋として、江戸の味を今に伝えています。(日本ばし弁松総本店Webサイト「歴史と味」「会社概要」)
参考:『言海(桜煎)』『簡易料理(たこの桜煮)』『新撰料理独案内(たこ桜煮)』『交通及工業大鑑 日露号(弁松料理店・弁松弁当仕出店)』『改正東京名所案内(弁松料理)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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皇太后宮太夫俊成
世の中は 道こそ開け 川蒸汽
波の上にも 汽笛鳴なり
【元歌】
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
※ 「川蒸汽」は、川を航行する喫水の浅い蒸気船のこと。川蒸気船。
挿絵に描かれているのは、吾妻橋から小松島行きの切符です。
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自 吾妻橋 至 小松島
金參銭 通行税壱銭
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此切符 本日限り
千住吾妻氣船株式會社
明治から大正にかけて、吾妻橋下と千住大橋の間を川蒸気が運航していました。吾妻橋(西橋)-言問(向島)-橋場町河岸-小松島(向島)-鐘ヶ淵-千住大橋(北詰)。
明治時代後期には、八艘の蒸気船が航行していたそうです。
千住吾妻汽船会社の汽船
八艘の汽船を以て吾妻橋下より千住大橋へ往復す。回数は不定なるも略隅田川汽船と同じ。寄港場は言問、橋場、小松島、鐘ヶ淵、千住大橋にて航程二浬余あり。賃銭吾妻橋千住間通行税共五銭、鐘ヶ淵迄四銭五厘、小松島、橋場は共に四銭、言問迄三銭、回数券及定員等、隅田川汽船に同じ。
『東京法人要録 2版(千住吾妻汽船株式会社)』『東京案内 上(吾妻橋千住大橋間航路)』『浅草繁昌記(千住吾妻汽船会社)』『東京便覧(永代橋下の小蒸気船)』『内外海商名鑑(千住吾妻滊船株式會社)』『大正博覧会と東京遊覧』『東京勧業博覧会案内』『博覧会と東京:経済的見物(東京の汽船)』
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖