【古今名婦伝】文展千代(ふみひろげのちよ)
※ 「總見寺」は、天正四年(1576年)に織田信長が安土城の築城にあわせて建立した寺。摠見寺。總見寺殿は、織田信長のことを指していると思われます。
※ 「侍妾」は、貴人などのそばにいて身の回りの世話をする者のこと。
※ 「蛬」は、きりぎりす。
※ 「犬子集」は、江戸時代初期に編纂された俳句集。『狗猧集』
※ 「親重」は、江戸時代初期の俳人、野々口立圃。
◇
文展千代は、天正時代を生きた女性です。
実在の人物か、物語上の人物か、定かではありませんが、江戸時代中期に書かれた『近世畸人伝』という伝記集に「文展(ふみひろげの)狂女」として記されています。内容は『古今名婦伝』のストーリーとほぼ同じです。
ストーリーを箇条書きにしてみると…
① 小野お通(近江国總見寺殿の侍妾)に仕える千代。
② 喜藤左衛門という商人と結婚の約束をする。
③ 三年たっても結婚できない千代は歌を詠む。※1
④ 千代を不憫に思ったお通は、
喜藤左衛門を召し寄せふたりを夫婦にする。
⑤ 夫婦となり京で暮らすが、夫に捨てられそうになる。
⑥ 千代がお通に手紙を送る。※2
⑦ お通は、戒めの手紙を喜藤左衛門に送る。
⑧ 喜藤左衛門は思い改め、千代と睦まじく暮らす。
⑨ 五年後に夫が亡くなり、心乱れて狂女となる。
⑩ 京の町角でお通の手紙を読み上げる千代は
人びとから「文展千代」と呼ばれた。
※1 うらやまし 人めなき野の 蛬(きりぎりす)
なくも心の まゝならぬ身は
※2 絶はつる ものとは見つゝ さゝがにの
いともたのめる こゝろぼそさよ
さゝがに(ささ蟹)は蜘蛛の別名で、待ち人が訪れる前兆を示すとされるそうです。
◇
夫が亡くなり、その死を受け入れられない千代は、お通の手紙を読めばきっと夫が戻ってくる… 五年前のように。そう願ったのでしょう。
襟にかけた文箱から文を取り出し、声を高くまた低く、泣き笑いながら読みあげる物狂いの風流なる千代。
千代をそのような姿に変えたのは、夫の死だけでなく、頼りにしてきたお通への思慕もあったのでは… と思います。少し長くなりますが、お通が喜藤左衛門に書き送った文を『近世畸人伝』から全文掲載してみます。
狂女となった千代が、五条橋のたもとで声高に読み上げたお通の文です。
千代とお通のそれまでの関係からすると、夫が亡くなったとき、千代はその死をお通に知らせたと思われます。そしてそれを知ったお通は、千代に慰めの文を送ったことでしょう。でも『近世畸人伝』ではそのあたりの事情には触れていません。
「男身まかり、岐阜もとりどりになりて、世のさまかはりしかば、此女気そゞろになりて、うかれありきける」とだけ記しており、以前のようにお通に頼ることができない状況にあったことだけが推測されます。
狂女となった千代がその文を読み続けたのは、お通への思いでもあったのかもしれません。
📖
最後に千代を描いた作品を見てみましょう。
幕末から明治時代前半にかけて活躍した浮世絵師、月岡芳年が描いた千代です。五条大橋のたもとで、風に舞い上がる文を手にした千代は、すこし上向きにじっと前を見つめています。黒く厚い雲に隠れる三日月、乱れる黒髪、吹きすさぶ風の音が聞こえるようです。千代の目は何をとらえているのでしょうか。
こちらは、昭和八年(1933年)に新橋演舞場で上演された『文狂ひ』という演目です。主人公は狂女千代。舞台は五条大橋のたもとです。実際に人間の踊り手であること、かつ、写真であるだけにとてもリアルで、芳年が描いた千代とはまた違った魅力で私たちの心をざわつかせます。
うらやまし 人めなき野の 蛬(きりぎりす)
なくも心の まゝならぬ身みは
絶はつる ものとは見つゝ さゝがにの
いともたのめる こゝろぼそさよ
参考:国立国会図書館デジタルコレクション『近世奇人伝 : 選評 (十銭文庫 ; 第19編)』『日本艶女伝 (新婦人叢書 ; 第4編)』『先哲像伝 近世畸人伝 百家琦行伝 (有朋堂文庫)』『柳田国男先生著作集 第7冊 (女性と民間伝承)』
筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖