【人相学】『武者鑑』丹後局/秩父庄司重忠/清水冠者義高/大姫君 10 mominaina 2024年1月29日 22:01 出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二』丹後局たんごのつぼね局つぼねは、優ゆうにやさしき 女性によしやうなれば、頼朝よりとも深ふかく 寵愛ちやうあいをなし給ふによつて、いつしか 懐妊くわいにんありける由よしを、御臺所みだいどころの聞きゝ玉ひて 嫉妬ねたましきことに思おもひ、何卒なにとぞしてなきものにせんと 腹心ふくしんの者ものに言いひ付つけて、局つぼねを由比ゆゐが濱はまに人ひとしらず殺ころさせんとし給ふを、重忠しげたゞは 四相しさうをさとる人なれば、局つぼねの死相しさうあるを視みて大いに驚おどろき、是これ、御臺所みだいどころの嫉妬しつとに殺ころされ給ふらんとて、計㕝はかりごとを廻めぐらして、西国さいごくの方かたへ落おとしまいらす。途中とちう、摂州せつしう住吉すみよしの境内けいだいにて、目出度めでたく 若君わがぎみ 誕生たんじやうあり。則すなはち、此この 君きみを始祖しそとして、今いま猶なほ 西国さいごくに連綿れんめんたる源氏げんじあり。夫それ、死相しさうは 色いろを以もて多おほく知しるといへば、今いまこゝには 詳つまびらか にせず。書しよによつてもとむべし。※ 「四相しさう」は、仏語で、物事や生物の移り変わる姿を四つにまとめたもの。ここでは、生・老・病・死のことと思われます。秩父庄司ちゝぶのせうじ重忠しげたゞ重忠しげたゞは、畠山はたけやま 重能しげよしの男なんなり。強力がうりき無双ぶさうにして、坂東ばんどうに並ならぶものなし。然しかも、清直せいちよくにして、忠義ちうぎ金鉄きんてつのごとく、戦功せんこう數多あまたありて、鎌倉かまくら第一だいちの忠臣ちうしんなれば、北条ほうでう父子ふし、豫かねて 大望たいもうの企くはだてあれば 邪魔じやまなりとて、重忠しげたゞ 謀叛むほんのよしを 實朝さねとも 将軍しやうぐんに 申もふして、是これを不意ふいに討うつ。重忠しげたゞ、勇ゆうなりといへど、大軍たいぐんに敵てきしがたく、愛甲あいかう三郎の矢やに當あたつて死しす。時ときに、年とし 四十二才なり。人ひと皆みな、忠勇ちうゆうを称しやうして惜をしまぬものなし。重忠しげたゞは、面体めんてい威ゐあつて猛たけからず。堂々だう/\たる容儀やうぎあれど、鼻はなの根元こんげんに横よこすじありて、眼めの中うちへ入いり込こんでありしが、是これ、不時ふじの難なんにあふ 危あやうき相さうなりしといふ。清水冠者しみづのくわんじや 義高よしたか義高よしたかは、義仲よしなかの一子いつしなるが、鎌倉かまくらへ人質ひとじちとして来きたりけるを、頼朝よりとも悦よろこびて、養子やうしとして大おほ姫君ひめぎみと 娶めあはさんとて止とゞめおかれしが、義仲よしなかの亡ほろびて後のち、密ひそかに義高よしたかも 失うすなはんとの沙汰さたあれば、附人つきびととして来きたりし 海野うんの幸氏ゆきうぢ 勧すゝめて 鎌倉かまくらを忍しのび出いでて 落行おちゆくに、武州ぶしう入間いるま川原がはらにて 追手おつての為ために殺ころさるゝ。義高よしたかは、古今こゝんの美男びなんなれど、勇ゆうもなく智ちもなく、敢あへて 賞しようする 所ところなかりしが、世人せじん多おほくは 男女なんによに限かぎらず美貌びぼうを好このむといへど、別べつして男子なんしたるものは 智勇ちゆうさへあれば、美顔びがんならぬを社こそ 好よしといふべし。大姫君おほひめぎみ姫ひめは、頼朝よりともの女むすめなり。させる美色びしよくはなけれど、飽あくまで貞心ていしん深ふかく、頼朝よりともより義高よしたかに 娶めあはさんとのことゆへ、今日けふや明日あすやと待まつうちに、義仲よしなか亡ほろびて後のち、義高よしたかは 藤内とうない光澄みつずみの為ために討うたれしと聞きくより、深ふかく嘆なげき悲かなみて、飲食いんしよく 更さらに 咽のどへ下くださずありければ、御臺所みだいどころは大いに 驚おどろき、光澄みつずみを 義高よしたかの仇あだとして斫きらしむといへど、大姫おほひめ 弥いよゝ 眷恋けんれんの 情じやう篤あつく、竟つひに 漿水しやうすい を断たちて死しし給ふ。是これや 寔まことの貞女ていぢよともいふべき然されば、容貌やうぼうの清きよからずとも、其その名なは清きよく 末世まつせの今いまに高たかし。※ 「漿水しやうすい」は、おもゆなど、どろりとした飲み物のこと。『武者鑑』の人物一覧はこちら → 【人相学】『武者鑑』人物まとめ 👀筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖 ダウンロード copy #古文 #古文書 #人相 #人相学 #畠山重忠 #武者鑑 #一幡 #源義高 #丹後局 #清水冠者 #大姫君 10