
【人相学】『武者鑑』三位中将重衡/千壽前/若葉内侍/小松三位維盛


三位 中将 重衡
重衡は、清盛の 愛子にして、其頃 平家の人ざまを 花に 見立し時、牡丹に 喩られし程の 才人なりしが、運 尽、時 来つて、鎌倉の 生捕となり、後に 南都へ 渡され、大衆の為ために 木津川の端にて 討れり。
其 以前、高倉の宮 御謀叛の時、討手の 大将として南都の 大伽藍を 一片の 煙りとして、皈障の時、ある老翁 重衡を見て、あら 悼ましや、此君 佛躰を 焼し 天罰にて、死相 顕はれたりとて、泪をこぼせし者ありしが、夫より 世界 漸々に 乱れて、一日 片時 安き 心もなく、茲に 非業の 死にあへるはふしぎなりし 縡どもなり。

千壽前
千寿は、手越の長の 娘にて、頼朝が 侍女なりしが、重衡の 心を 慰めよと 命を 受て 行しに、重衡 心を 乱さず、たゞ 糸竹朗詠の 相手のみさして、愛給ひしが、後に、重衡は 南都に 失はれしと聞、鬱の 病を 引出し、竟に 絶人して死す。
彼 君が、一日の 情 に 百年の 命を 不惜は、貞婦の 常なれど、是は 一日の 情にもあづからず、一樹の蔭、一河の 流れも、皆 他生の 縁なりと 観ぜし烈心、又、有がたき 女なり。
千寿は、重衡の 心を 引見ん為に、頼朝の 撰まれし女なれば、その女の 利発、又、顔のうつくしさ、論ずるに不及。おして知るべし。

若葉内侍
内侍は、中御門 新大納言 成親の 娘にて、幼なき時、父にも 母にも 後れ、孤 となり給へど、桃顔 露に 綻び、紅粉 眼に 媚をなし、柳髪 風に 乱るゝ 粧ひなれば、維盛の 北の方となり、男女 二人の子を 持給ひしが、寿永の乱れに、維盛は 入水の由 聞へければ、母子三人 歎の淵に 沈み給ふ。
折から、御子六代君も、北条の為に 生捕れ、一旦 文覚に 助けられしに、後 又、罰せられ、姫は 病に 罹りて 死し給ふとぞ。
殊に、便りなき 身となり給ひければ、一門の 為に 尼となり給ひしと言り。故ある哉、如此 の 美人なれど、肩聳へ 声散じて、哭するに 似たりし。是、父母 良人 子に 縁うすき相なりといへり。
※ 「桃顔」は、若く美しい女性の顔を桃の花にたとえていう言葉。
※ 「柳髪」は、女性の髪の美しさを柳の枝にたとえた言葉。

小松 三位 維盛
維盛は、重盛の 嫡男なり。父に似て、其 心 優然たり。こだひ一門の人々、都落には、各北の方を 俱し給しに、維盛ばかりは 都に 止めおき、後に、西海にて 三草山の 軍 破れて 八島へ 渡りおはせしが迚も、平家の 運も 是迄なりとて、ひそかに 高野山へ 忍んで 参詣なし、かの時頼法師を 案内にて、熊野へ 詣給ひ、那智の沖にて 入水せんとあるを、時頼法師、維盛を相して、君 額 に 草字の 大字紋あり、まだ 命數 竭給はずとて、此 浦へ 入水と 披露して、此 辺の 深山に 忍ばせおきしといへり。子孫、今に 存すと 聞り。
※ 「三草山」は、ふりがなの誤りでしょうか。みくさやま。
※ 「八島」は、屋島のこと。
※ 「命數」は、命の長さのこと。命数。
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筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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