膃肭獣(おとつじう)おっとせい
是、松前の産物とはいへども、蝦夷地 ヲシヤマンベ といふ所にて採るなり。寒中三十日より二月に及ぶ。されども、春の物は 塩の 利あしきとて、貢献 必 寒中の物をよしとす。
蝦夷地に 運上屋といひて、松前より 七八十里 東北にあり。最 舟路、其 遠こと、七八百里もあるごとしといへり。此 運上屋は、松前、奥州、近江など、其外 商人の 出店ありて、先 松前より有司 下り、其 交易を校監す。
日本より渡す物は、米、塩、麺、古手、たばこ、器物 等にて、刃物はなし。又、蝦夷の産は 海狗、膃肭、熊、同膽、鹿の皮、鱈、鮭、昆布、蚫、鱒、ニシン、數の子 等なり。其内、蝦夷錦は、満州(韃靼にて ヱソ へ近し)の産にして、蝦夷地、ソウヤ と云所へ、持渡る、又、熊は 先子を手取にして、其 翌日 親を捕れり。子は 婦人の乳に 養ひ、歯の生ふるに至りて、雜物を 食せしめ、成長の後、材木にてしめころしたるを、さらに薦にのせ、酒肉を 具へ祭りて後、膽を取り肉を食ふ。
※ 「麺」は、麹のことと思われます。
※ 「古手」は、古くなって不用になった着物、道具などのこと。古着、古道具。
※ 「海狗」は、おっとせいの異名。
膃肭獣を ヲツトセイ といふは 誤 なり。獣の名は、ヲツトツ なり。或書に 膃肭臍とかきしは、外腎の事にして、睾丸なり。薬用、是を要として、肉の論はすくなし。故に、陰茎といひて、貨賣する物、此 外腎の間違なるべし。津軽南部よりも 出て、真偽 甚 紛はし。是、種類 有が故なり。海獺、海狗、一名とはすれども、是 種類の 惣名なるべし。其余、海狗、葦鹿の 同種なるべし。
※ 「海獺」は、アシカ(葦鹿)の異名。海獺(うみうそ、うみおそ)。
※ 「葦鹿」は、アシカ。
海獺は、海の カハヲソ にて、是 全く 形状 膃肭に相似たり。是を 別には、前の歯 二重に生ふる物、真の 膃肭とす。又、一説には、二重歯は 上歯 許なりともいへり。又、頭上に 塩もふく一穴有り。毛にかくれて見えがたし。肉にても、百ヒロにても、寒水の内に投じて、其水 温暖にして 氷ざる物、真の 膃肭と知るべし。
※ 「百ヒロ」は、百尋。きわめて長いことから、腸、はらわたのこと。
陰茎といふにも、偽物 有て、百ヒロを以て 造るといへり。故に、毛なし。号て、百ヒロ タケリと云。
真なる物は、三寸 許、赤色にして、本に毛あり。全身 灰黒、水獺におなじくして、微し長し。顔は猫に似て、小さし口の 吻鬚 甚 大きし 嗯の 次に左右に足有。大鰭のごとし。後の足は、尾前に 有て、ともに長さ一尺 許、其 尖に 五ツの爪あり。尾は細し。海底、最も深 所に棲。又は、海邊 石上に 鼾腄(いびき)す。或は、群をなして寝ながら流る。其内、一疋 睡ずして 候ひ、若 舩 来れば、忽ち 聲をあげて、睡をさまさせ、水中に 隠水を行く時は、半身を 水上に 出して、能く游ぎ、波を切ること 最 盛なり。海獺もすべて、右にいふがごとく、今膃肭といひて来る物多くは、海獺にて、其 真は得がたし。南部、一粒金丹も、是をゑらふを 第一とは聞へたり。本草集解に、東海水中に出ると記せしは、是 中華も稀にして、即 日本より 渡すとは見えたり。
蝦夷には、大を 子ツフ、中を チヨキ、小を ウネウと云。是、真の 膃肭なり。鰭を テツヒ と云、一疋を 一羽と云。津軽にて、此 テツヒ を採りて、サカナとす。其中に大なるを、トといへり。今、女児の 言に 魚をさして トゝ と云は、若や、是より 言来ぬるもしるべからず。中華にも 此言あり。
※ 「水獺」は、獺のこと。
※ 「嗯」は、顎のこと。腭、顎。
又、夫木集 雜十八夢の題に、建長八年 百首 歌合 衣笠 内大臣
〽
我恋は 海驢の寝ながれ さめやらぬ
夢なりながら 絶やはてなん
と詠みたるは、海馬の 種類にて 別なり。又、海驢の文字を 日本記神代の巻 龍宮の 章に ミチ の皮とも訓り。
捕猟
蝦夷人、是を 捕ふに、縄にてからみたる舟に乗りて、かの 寝ながれの群を見れば、狐の尾を以てふりて、かの起番の一羽に見すれば、大に恐れて 聲を立てず。去るを待ちて、寝たる所を弓、或は、ヤス などにて採ること、其 手練、他の及ぶ 所にあらず。舟は、すべて棹さす事なし。前後へ 漕ぐなり。
或 云、膃肭臍といへば、臍なるべし。然るに、外腎 也 とするは、如何。或書に、彼 臍を 得と欲して、松前南部の人に 覓むれども、兎角して 得がたし。此比、土人の謂を聞けば、臍と陰茎と 甚はだ通し。故、陰茎を取る時、必 臍を 損じて全くなし。或人云、雄なり。其 雌は、必 臍あらんか。
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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