俺らはまだやれる【佐々木インマイマイン】
絶妙な線の層にのみ響く映画ですなぁ。形容できないものやジャンルでこの世は成り立っているのかねぇ。この映画が好きな人と、全く響かない人がいるから、世の中のバランスが一見とれているように見える。
佐々木のような、内に狂気持ってる人の話し方が本当に苦手なんだけど、でも小刻みに頷きながら話すあの仕草する人が好きだ〜。
『ゆうじ、やりたいことやれよ。お前大丈夫だから。堂々としてろよ。』
こういう人がふとシリアスに話す時にもうほんと世の中のそのものが全面に現れて怖くて怖くてゾッとしちゃうんですよね。
苗村さんに会って、目が光っていったのに。
劇中のロンググッドバイ。
『わかるよ。まるで糸が切れた凧みたいに、ぼんやり虚空を見つめてるんだ。わかるよ。おまえはいま、過ぎ行くものたちをゾッとする思いで見つめてるんだ。まるで、死んだ誰かを懐かしんで、墓場をさまよう道化のように。でも、ここはおしまいだぞ、ジョー。もう、どうしようもないんだよ!』
その速度、強烈さに目がくらむ、咀嚼し切れず喉に悲しくたまっていく得体の知れないものの積み重ねにゾッとする、それでも
『負けていったひとたちの味方でありたい』
内山監督のこの言葉。
勝っていったひとたちが眩しくて、視界でいつもうごめいちゃうときもあるわよ、鼻で笑われても、絶対負けたくない、乾きたくない。そういう情けなくてみっともない感情もなんとか消化してね、殺されてたまるか、生きてやるからなボケって勝手に思うのよ。
最後、苗村さんがクラクション鳴らし続ける佐々木コールシーン。
まだ俺らはやれる。まだやれる。下向くな。と、がなり声が聞こえるような。
叫んどこうぜ。
下向いて、鼻に涙たれるくらいなら、ダサくてもイタくても、あんな大人にだけはなりたくねぇ。って言いながらあんな大人になっちゃってこうよ。
クラクション大泣きしながら鳴らしたあなた、生きていけるよ。
最後もうほぼ吐きながら叫んでるゆうじには鳥肌立ったな。
佐々木!佐々木!
青春の『ガワ』を持った狂気のリアル!
根本的な暗さ、目も当てられないむごさ!
みんなが気づかないふりしてるこの世界!
無視され続けているほんとうのこと!
佐々木よ、あの時どんな顔でカップラーメンにお湯注いでた?クソうめぇよってどんな気持ちで言ったのよ。
ここでは何が真実かってどうでもよくない?あの瞬間を一緒に生きて、いくら時が経っても、第三者に無意識にしょっちゅう話しちゃうほど好きだし愛しいと言うこと。ふと名前を出してしまう。苦しかった、あのとき、死んでやりたいくらい苦しかったろう、でも、あの放課後の、バスケコートで寝そべったあの時間は本物だ!どんなにどん底でも、そんな時代が彼らには、私たちにはあったということ。それが全て。
パワープレイで説教くさい何かに誘導していないのがとても良い。
このカラオケのあとの朝を抜き取って、部屋に飾りたい。『、、、じゃ、また、、』と言った二人の感情を抱きながら寝たい。どんなに東京という、会社という、不気味なものの中に生きていても、この景色を見られる側の人間で、まだいたいんだよ。
★よかったもの
ピコのTシャツ
鍋から直でカップラーメン作る感じ
ゾッとする思いで見つめてる。
あのカレンダー
換気扇の下でタバコを吸うこと
ドゥビドゥビードゥビドゥビドゥビドゥビ〜♪
行かない。くそうめぇよ……。
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