あの人にとって食べることはどんな時間だったろう?

この記事を書こうと思ったのは、数年前に関わったALSの方が

「腕がだるくて頭を下げないと食べられなくて、みっともなくて、外でお友達とご飯食べる気にもならなくなった」

と言った言葉がとても頭に残ってるからです。


食べやすい食器や簡単に栄養が取れる食事の紹介をしたり、気分転換になるようにと一緒に外に出たり、運動を一緒にしたりしたけど…

それはおそらく、そういう風に看護することが「一般的」ということもあるし、

そこにニーズがあると考えて行動していたのだけど。


なんだろうな、大事な何かに触れていないような

そんな気がしてるからきっと私の中にこの言葉が残ってるのかな。と思って。


「食べることが大変になってきた」から「簡単に栄養が取れるものを」「あまり腕の力を使わなくても食べられる方法で」食べるように。

そして「その機能が落ちないように運動」して

友達と外食できなくなって気持ちが落ち込んでいるようだから「気分転換に一緒に外に出る」


間違っていないようにも思う。

なんなんだろう。


誰かと美味しいものを食べて楽しいと感じる時間


今思えば、そういうことにすっぽりと蓋をしているような感じがする。



日々、子供にご飯を作って食べさせていると

子供の機嫌が悪かったり、食べられないものと判断すると、容赦なく食べ物は宙を舞います。

(ぐしゃ、ぽーいっ、って感じです)

そういう姿を見ると、「こらー!」と思いますが…

色々工夫して、もぐもぐ、にこにこしながら食べてもらうと、仕方ないなぁまたがんばろーと思います。

ひとえに「食事が楽しく栄養が取れるように」と願っているからです。



あの人もそういう時間がもう一度過ごせるように、日常を一緒に作り出すこともリハビリだったのかなと、

先日の「訪問看護とリハビリテーション」の記事を書きながら思い出していました。


次回は「手順書って必要?」を書きます。




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