伝えるということ
数年前、会社の先輩が病気で亡くなった。
一年半ぐらい、入院と通院を繰り返して、病気と闘っていました。
入院している期間、先輩の仕事を代わりに進めるため、早い段階から状況はうかがっていました。
ある時、先輩が部下育成に関わるカリキュラムを、外部の専門家とともに創る仕事に取り掛かり始めました。
昔からビジネスを創ることに長けた方だったので、社内の仕組み作りに目を向けることは意外でした。
どこかで心境の変化があったのだろうと、今思えば感じますが、当時は少し不思議だという気がするくらいだったのです。
仕組みが出来上がってしばらくしたのち、先輩は再び入院して、治療に集中することとなりました。
それから二か月後ぐらいだったでしょうか。先輩が亡くなった報せを受けたのは。
葬儀のお手伝いをするために、葬儀会場に伺って目にしたのは、入院中に家族の皆さんに囲まれて笑みを浮かべる先輩の写真でした。
志半ばで亡くなることは、先輩も本当に無念だったと思います。
ご家族の皆さんを遺して、お子さんの未来を自分の目で見ることができなかったことも、寂しかったのではないかと思います。
しかし、葬儀で目にした写真に写っている先輩は、本当に穏やかな顔をされていました。
部下育成のカリキュラム創りに取り掛かる前、大きな心境の変化があったのかなと思います。
父が他界する前にも、心境の変化を感じる場面がありました。
病気になってからも、体調が良い時には自然に包まれた写真を撮りに出かけたり、旅に出かけたりしていました。
そんな風に、生活を楽しむ日が続いていましたが、ある時からポツポツとボクに質問を投げかけてくるようになったのです。
もともと説教をするような父ではなかったので、なにかを諭すようなことはありません。
ただ質問をするだけです。そして答えを聞くと、「そうか」とだけ言って、その会話は終わります。
父が亡くなってから気が付いたのは、質問することでボクに伝えようとしていたんだなということです。
思い返すと、いろいろなことが繋がっていくのです。
父も先輩も、遺るボクたちになにかを伝えようとしていたのだと思います。
伝える方法は違っても、その思いを伝えようとしていたんだなと。
死という現実を前にしてもなお、これからの未来に思いをはせていたのだと思います。
だから、ボクたちに思いを伝えようとしていたのかな。
この本を読んで、そのことが見えてきたように思います。