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025 余白のある街 /こんな学校あったらいいのに

私立大学の観光学部が、千葉県鴨川市から撤退します。

撤退あとは、どうなるんだろうか。

そこに、地域活性化に貢献する、こんな学校ができたらいいのにという妄想です。

引き続き、地域活性化を学ぶためのテーマを考えていきます。


こどもの頃に憧れた街

小学校低学年まで、ボクは本当の田舎で育ちました。前は海、後ろは山。

海で釣りもすれば、山へクワガタ採りにも行き、冬は裏山の斜面で積もった雪の上をソリで滑っていました。

小学校は3階建てでしたが、街にビルはほとんどなく、ただただ田舎の街でした。

そんな僕が小学校高学年で、首都圏に引っ越してきました。

その時に、目にした10数階建ての団地群は、まばゆいばかりの光景でした。

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(こんな感じという、あくまでイメージです。)

団地が高台に建てられていたので、余計にそう感じたのかもしれません。

こどもの頃に憧れた街は、やはり都会っぽい光景です。

ベッドタウンなので、東京都心の都会とは違います。

それでも、今まで見たこともなかった高い建物に圧倒されるとともに、なんだかワクワクしていたのです。


チェコで感じた空間の差

高度成長期からバブル期までは、団地群のようなコンクリート建造物が、ある意味では経済成長の証しだったのかもしれません。

そんな感覚に疑問を感じたのは、海外を旅した時です。

1985年から始まったソビエト連邦のペレストロイカによる民主化の流れが、東ヨーロッパの国々へと影響していきました。

チェコスロバキアでも1989年には共産党の一党独裁が終わり、そして1993年にはチェコとスロバキアが2つの国に分かれました。

そんな大きな動きの余韻が残っている1990年代の後半に、チェコを旅しました。

まだまだ東ヨーロッパ時代の影響が色濃く残っているころです。

首都プラハのホテルに宿泊したのですが、そのホテル内の重苦しさや冷たさといった感覚が忘れられません。

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まさに、こんなトンネルの中にいる感覚です。厚いコンクリートの壁に押しつぶされそうな感覚。無機質で、人のぬくもりや文化を感じない内装。街を歩いているとそうでもないのですが、ホテルのような建造物は、すぐには変えられないのでしょう。そうした共産党時代の雰囲気を引きずったままだったのです。

そんなある日、プラハの街はずれのバス停からチェスキー・クルムロフへと向かいました。

現在は世界遺産にも登録され、日本からの多くの団体ツアーにも組み込まれている有名な街です。

しかし当時、日本ではまったく無名でした。インターネットもまだ普及していない時代で、ほとんどチェスキー・クルムロフに関する情報はなく、プラハの案内所で行き方を教えてもらうしかありませんでした。

どうにかこうにかたどり着いた街は、本当に素晴らしいところでした。

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それはプラハのホテルの冷たさを感じたあとだったので、なおさらだったのかもしれません。

景観や建物が、こうまで人間の気持ちに影響を与えるものなのかを痛感した経験だったのです。

 経済的活性化と社会的活性化

なぜチェコでの経験に触れたかというと、地域活性化には経済的活性化と社会的活性化の二面性があることを考えたかったからです。

尾道市立大学の小川 長 教授が、2013年に発表した「地域活性化とは何か」という論文で、地域活性化は経済的効果と社会的効果の二面性をもつ概念であることを示しました。

仕事を生み出したり、新たな地域の生業を生み出したりするのは、地域の経済的活性化を進めるものです。

いっぽうで、「高齢化」、「雇用」、「支援」、「安心」、「安全」など地域住民の課題の解決を進め、地域の社会的活性化を進める活動もあります。

未来に向けたまちづくりは、この社会的活性化を進める一助になるのです。

地域活性化を考えるということは、経済的活性化を目指すことはもちろん、同時に社会的活性化を目指すことも含まれるということを、あらためて考えておくことが大切です。

社会的活性化を目指すまちづくり

まちづくりについては、いろいろな方が、いろいろなところで話題にされています。

そして地域、地域で、それぞれ違ったアプローチがあると思います。

そんな中でも、、ボクが大切だと感じていることがあります。

人が歩くスケール感の街

そもそも人は自力で歩くスピードで、街を感じていたはずです。

店先に並ぶ商品の変化、知り合いとのなにげない会話、そうしたすべてが、街をつくりだしていたのです

そこに自転車が現れ、さらには自動車が現れ、現在地と目的地とを行き来するだけになり、街は通過するものになってしまいました。

そこでもう一度、人が歩くスピードにあったまちづくりを意識する必要があります。

余白のある街

デザインの世界では、余白をとても大切にしていることを、あるデザイナーの方から教えられました。

余白があることで、人はストレスではなく、安心感をおぼえます。

余白があることで、受け手が能動的に書き込む、つまりその場に参加することができます。

余白があることで、枠の外へとはみ出す自由度をもつことができます。

まちづくりにも、そんな余白の効果が、人々の動きを促していくのだと思います。


余白というものの可能性を、医療関係者が街の図書館を運営する記事の中で感じました。

古くて新しい街

街は建物単独で成立しているものではありません。

建物がならび、人が通る道があって、そこに人々が存在することによって、はじめて街は成立します。

それを街並みと呼びます。

古い街並みを訪れると、なぜ美しいと感じるのでしょうか。

そこには人々が歩んできた歴史があり、その中で作り上げられてきた風土があり、そして人々の生きざまが感じられるからだと思います。

しかし、ただ古いだけでは、これからの未来の人々が生きていくには不十分です。

あらたな商いを組み込むもよし。

あらたなデザインで内装を施すもよし。

あらたな試みで人が集う場所をつくるもよし。

温故知新の精神です。

そして、その街並みに、あらたな余白ができれば、そんな街にボクは暮らしたいと思います。






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あおい しんご
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。