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とらわれないとは握りしめすぎないこと

辞職して2ヶ月。
この2ヶ月間、何度も何度も泣きました。

私がいなくなって職場のみんなに迷惑を掛けてしまっているという申し訳なさ、
うまく営業ができているかという不安、
恨まれているのではないかという恐怖。

次の店長が 
お店の売り上げが良くなっていく事を
DMで送ってくる度に、
「スタッフの負担が多過ぎるんではないか」
「夜中何時まで残ってるのか」
色々な思いが湧き出てきて
どうしようもなく、ただ苦しかった。

去年の今頃は私1人で日付が過ぎるまで
終わり作業をして
悲しくて作業中ひとりでに泣いていた。

そんな思いを今のスタッフが
してるんじゃないかと思うと
胸が押しつぶされそうだった。

沢山のことを教えてくれたオーナーにも
今までの事をすべて裏切るようで
本当に怖かった。

でも泣き続けて1ヶ月目の日、
あることに気づいた。

世代交代だ。

私がいなくなってから増えた10人ものスタッフ。
今となっては終わり作業のためだけに来てくれるスタッフが2人もいる。
私が辞職してからスタッフ募集が始まり、気付けば猛スピードで体制が整っていた。

そして何より尊敬するオーナーと一緒に仕事ができなくなり悲しかったが、

まて。

私が独り占めしていたではないか。

私が辞めたことでオーナーと関われる人は10人、そう10倍にも増えてきっとまた
それぞれの人生が変わり、
好転していく。

まてまて。
すっっっごい良いことじゃん…。

私がその運命のスピードを操作していたのか。

そう思ったら軽くなった。
私の勤めはここで終わったのだと。

辞職してからもオペレーションやレシピ、コーヒーについての資料を作成したり
時にはお店に手伝いにも行っていたけど
もうここで、卒業させてもらおう。

卒業したらそう、高校生が中学校には
登校できないように
もう仲間は誰もいないし居場所はない。

沢山の責任はあったけれど、
ちゃんと引き継ぎ作業もしたし 
大丈夫。

これって頭で分かっていても
心が受け入れてくれないんです。
不安から簡単に抜け出せない。

DVをしていた元彼が恋しくなるのも、
日頃の優しい彼を知っていてどうしても
毎日LINEしている事が自分の生活の
習慣に根付いていて
愛している確証があったから
別れた後もやっぱり思い出してしまう。
(これは依存状態。別れて正解。
心が求めていても断じて離れるべき。)
(私にそんな過去はないのでご安心を!)

そんな大切なことに(やっと…)
気づいた1ヶ月目からまた
20日後。

オーナーから久しぶりに連絡が来て
「あの時は引き継ぎ作業や
動画を作ってくれてありがとう。
売り上げも伸びました。」と
メッセージがあった。

良かった。

辞職しているにも関わらず週に3回も
終わり作業を手伝いに行ったりしていた。
「やめてください、
もう辞めてるんですから。」
という声に心苦しくなりながらも、
みんなを手伝うことが最優先だと思って
手伝ったりすることもあった。
これはENFJに見られる『自分が嬉しい事は他人も嬉しい』という考え方。

そんな理論的に言っても仕方がない。
ただ、何かしてあげることが1番いい事だと思っていたのだ。
客観性を失って、理性と謙虚さに欠いた判断をしてしまっている。
誰も嬉しくないではないか。
心配は相手に伝わり、自信をなくしてしまうことがあるそう。
私は相手を応援するべきなのに。

私は自分の罪悪感に囚われていた。
そして相手を握りしめすぎていた。
まって、握りしめてしまって
相手が痛がっていたのなら
優しさなんて元も子も無い。

囚われていたのは自分。
「とらわれないとは握りしめすぎないこと。」
なのだ。

手放すのも信じ切るのも、優しさ。


オーナーには辞職を伝えてから辞める直前まで
嫌われる一方な実感があって
悲しくて悲しくて仕方がなかった。

けれど今はありがとうと言葉を貰ってる。
私は全力でやったんだ、いつでも。

だから世の中は全て好転している。
誰しも不安はある。
けれど成長するための不安なんだから、全て。

大切なことに気づかせてくれた。

今では毎朝、大切な人にコーヒーを淹れる事ができている。
決まったレシピで、
夏の強い太陽の日を浴びながら。

酸味も甘味も苦味もほどよく、
余韻まで楽しめるコーヒーを目指して。

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