家族、憧れへの揺らぎ。
最近もっぱらの関心は、セーフティネット作り。心の置きどころ、身を寄せるところは、できるだけいろんなチャンネルを持っておきたい。一箇所に期待を寄せないで、時と場合によって、拠りどころを探る。だけど、基本精神は「最後は自分で何とかする」。その前提で、このパターンは誰に頼ろう、誰と遊ぼう、誰に打ち明けよう…そんな風に考える。
セーフティネットは、近くにも、遠くにもあったらいい。物理的な距離感、心の距離感、関係性の距離感、どの視点でも。関係性の距離感が近すぎると、時折、コントロールが効かなくなるから、一点集中しない方がいい。夫婦やカップル、親子、親友…関係性に唯一の名前が与えられた瞬間、どうしても期待と依存から免れない気がする。「特別な関係性」に集中しないために、分散型の拠りどころづくりが大切だと言いたい。
最終的には自分でなんとかする。なんとかするために自分の仕事は持つ。仕事を成り立たせるためにも、頼れる関係性をつくる。いくつかつくる。出来れば、一方的な頼みごとでなく、お互い様だといい。お互い様で、分散型。
セーフティネットの中心に、かつて「家族」というものを置いていたし、「家族」を諦めずに再構成してみたいと憧れ、一時期は奮起した。だけど、何か一つ閉じた関係性に期待することは、脆くて危ういと考えるようになった。何人もの友と話す度に、特に離婚を経験し、子どもを育てる環境にある女性たちと話せば話すほど、何チャンネルかの関係性を持つことに、心強さを感じざるを得ない。唯一は、こわい。
同世代の友達と、60になったらどうするかねと、焚き火を見ながら語り合った。孫とか出来てるかもしれないけど、こうやって語れる友達が、その時も何人もいて欲しい。