愛と仕事は、混ぜるな危険。
アフター主婦の、遅咲きの会社員生活4年目。社歴は浅くとも、いい歳だ。年齢の観点での若手たちのケアが、私の業務に紛れ込んできた。そういうのは苦手だからとも言ってられず、振る舞いを変化させていくお年頃なんだなと、ステージの緩やかな切り替えを意識し始めた。
近頃、ステージを緩やかに切り替えたと言えば、パートナーの活動への関与度合い。これまであえて可能な限り入らないように防波堤を拵えていたが、少しだけ緩め始めた。
私は過去に、夫婦で同じ仕事をしたがゆえに破綻に至った経験をした。それ以降、「愛と仕事は混ぜるな危険」のラベルを貼っていた。
今のパートナーと歩み始めたこの5、6年、これまでそれぞれ茨の道を歩んだ。彼は勢いだけで立ち上げた空っぽの会社に、無数のアイデアと熱量で、お金はさておき、仲間が溢れかえるようになった。私は紆余曲折経ながら、今の会社での仕事を通じて、プロジェクトを進行する技術を手にし、存在を評価してくれる同僚たちに出会えた。
出会った当初、今よりもさらに若かった未婚の彼は、私に子どもがいることを厭った。私と彼は数えきれないほどの衝突を繰り返しながらも、一緒に生活をはじめた。彼は、娘に対してお兄さんとお父さんの間のような振る舞いを努力し、彼の友人らには「娘」と紹介してくれるようになった。出会った人を大事にする、一度約束したら必ず守るという彼のポリシーによる愛の形である。GW、彼のおばあさんの納骨があり、はじめて彼の叔父さんと叔母さんに会った。結婚してるわけじゃないし、子連れだし、こういう場に行ったことはない。急に訪れたのに、特に詮索もされずに、フラットに迎え入れられた。彼の父もそうだが、あれこれ何も言ってこない。
彼は、ざっくりいうと世界の平和を大きな目標とし、アフリカ、スパイス、宗教、旅、あらゆる分野での活動を行い、さまざまな関係性の中に身を置いている。想いは人と人を結びつけるコミュニティが生まれるきっかけとなる一方、人と人を分断する境界線にもなっていることを感じる。彼はその分断を知りながら、その境界線を渡り歩き、個人を個人として向き合っている。とは言え個人主義では決してなく、自分でもコミュニティという群を生み出したりもしている。
私が働く会社では、「We believe in CREATIVITY within all」を掲げ、さらに「Create Ecocystems」つまり、「目先の利益だけにとらわれず、継続的に人と企業と社会に向きあい、価値を生み出し続けるビジネスエコシステムを構築」することを大事にしていると宣言している。エコシステム構築するなんて、心の分断は大敵だ。
愛と仕事は混ぜてはいけない。だけど、自分の時間と技術をどう分配するのかを、改めて考えたい年頃になってきた。一度学んだ教訓、「愛と仕事、混ぜるな危険」が、私の心に頑丈な防波堤を作った。だけど、教訓には続きがあるはずだ。なぜ、危険なのか、どうすれば混ぜられるのか、どうすれば越えられるのか。
溢れかえった彼のアイデアやタスクに対して、会社員生活で身につけた私の技術を用いることは、社会にも自分にも良い循環を生み出すはずだ。「社会のため」は嘘くさくて信じられない存在だ。だけど、自分たちが生きていく上で感じる喜びを増やし、違和感や分断をなるべく減らすことは、私のためでもある。私のためは、側で今を生きる娘なり、パートナーとのためでもある。
愛は、多分、そこに在る。