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萩の月。
「この二人は、なぜ別れないんだろう」と毎回思う。ひとみさんは今日も言う。「このまま自由になりたい。」
でも、結局別れない。そう心の中で思いながら、彼女の感情の受け皿となる。いつものことだ。40代に突入したひとみさんは、10歳年下の彼氏のトキオくんと、日々激しい喧嘩を繰り返しながらも、7年の月日を着実に重ねている。わたしは、ひとみさんの「今度こそ本当に終わりだわ」を、30回くらい聞いた気がする。
ひとみさんは器を専門とする小さなギャラリーを営んでいる。トキオくんは、陶芸家で、独特な作風で全国各地に熱狂的なファンを持つ。10年ほど前、偶然見かけたトキオくんの作品を「ひと目で『これは原石だ』と察知した」というひとみさんは、彼に秘められた激しい個性を引き出すように働きかけた。積極的にひとみさんのギャラリーで紹介し続け、徐々にファンがつきはじめ、数年かけて作風も確立し、今や有名なレストランのシェフにも気に入られ、海外でも話題の作家の一人となった。
この過程で、トキオくんとひとみさんは公私共にパートナーとなっている。「体当たりでぶつかんないと、あんだけの熱は引き出せないわよ。まあ、ちょっと入れ込みすぎたけど。」
わたしはひとみさんの扱う器が好きで、よくお店にお邪魔していて仲良くなった。トキオくんの器が、月日を重ねるごとに、情熱が剥き出しになっているように感じていた。
トキオくんもギャラリーにいる時に、わたしが気に入って購入した作品の感想を伝えると、ひとみさんが我ごとのように作品の解説をしてくれた。その間、頷くことはなく右斜め上を見つめていたトキオくんは、間を置いてから「いや、そういうことじゃなくて」と訂正。同じく頷かずに耳を傾けた後に「ああ、なるほど、つまり…」などどひとみさんが発言して、「いや、だから」と否定をトキオくんがする…といったように、これまでわたしの目前でも、少し冷や冷やするようなラリーを何度か繰り返している。彼らには常に、一触即発な空気が流れていて、「なんで別れないんだろう」と疑問であった。両者の間に、阿吽の呼吸が流れているのが、良きパートナーシップじゃないのかって。わたし自身が、喧嘩のない、そんな夫婦関係だったから。それがひょんなことからほころびが生じると、阿吽だったはずのコミュニケーションは何一つ効かなくなり、問題の根源に触れることなく、あっという間に、「円満に」結婚生活に幕をおろした。
それから、ひとみさんとトキオくんみたいにぶつかりあうことの方が、愛なのかもしれないと思うようになった。わたしたち元夫婦は仲が良く、相手を尊重し合っているようにみえて、本質的にコミュニケーションをとっていなかったのかもしれない。ぶつかるのって面倒臭いから、都合の悪いことは見ないふりにして適当に聞き流していただけかもしれない。相手のことを本当に想う時、耳障りの良い、ポジティブなことを言うだけでなく、相手の形を変えるくらいに激しくぶつかり合うことも必要なのかもしれない。
ひとみさんの言葉を反芻する。「愛する、って生優しいもんじゃないから。」
数日して、ひとみさんから旅の土産をもらった。二人で、彼の器が使われている仙台のレストランまで足を伸ばしデートをしたらしい。こだわりも情熱も、激しい愛を放つ二人からの土産が、ど定番の萩の月。二人のこういうところが、好きだなあと思う。今夜は満月だ。