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選べるのにあえて選ばない
前回の投稿を書きながら、ふと思った。
「選択肢はあるのに、あえて選ばない」ってところにこそ、その人らしさが出るのかもなぁと。
カメラが普及する前の時代は、生活シーンで写真を撮らないことは、当たり前だったはずだ。そのためのツールもなく、選択肢すらもなかったのだから。
撮る撮らないの選択がなければ、「撮らない人に憧れる」という概念自体も生まれない。
私の憧れは、撮らない選択肢が生まれたことでできた新しい種類の憧れだ。
スマホという名のカメラを常に持ち歩いている現代人は、すぐに記念写真を撮る。
どこへ行った
誰と会った
こんな料理を食べた
物を買った
そんな時に写真を撮るというワンアクションが増えた人は多いと思う。
ディズニーランドで写真を撮る人がいても、何も珍しくない。当たり前の光景。
むしろ、ディズニーランドで一切写真を撮らない人がいたら、ちょっと珍しいなと感じる。
年配の方とか、日頃からあまりスマホを使わない年代の方は例外として、日々スマホを使いまくっているにもかかわらず写真を撮らない若者がいたら、私はちょっと気になると思う。
撮れるのに撮らない。
選択肢があるのにあえて選ばない。
その理由はなに?なんで?と気になる。
撮ることに興味がないのか
楽しすぎて撮ることを忘れているだけか
本当は撮りたいんけど撮らないと決めているのか
スマホの充電が切れてしまったのか
容量が足りずもう撮れない状態なのか
それとも、他に何か特別な事情でもあるのか…
無駄におせっかいな想像が膨らむ。笑
写真の撮る撮らないに限らず、
大多数の中にいる少数派は、良くも悪くも目立つ。
本人の意思ではない理由で少数派にいる場合は
仕方がないことなので気にしても意味がないが
本人の意思で「あえて」選んでいる場合
選んだ理由=こだわりがきっとあるに違いない、知りたい、と気になってしまう。
ただ、私にとってはただの好奇心でも
相手にとっては余計なお世話になる場合もある。
「よく聞いてくれた!」と喜んでくれるならいいが
デリケートな理由や、他人に話したくない場合
好奇心の存在自体が相手を傷つけることもある。
別にあなたが知る必要もないし、
知ったところでどうすんの?
そう言われたらそれまでだ。
私の謎がスッキリするだけ。ただの自己満足だ。
それでも、やっぱり気になってしまう。
できるけどしない
選べるのに選ばない
なぜ?
モテるけど恋人は作らない
結婚できるけど結婚はしない
子供は産めるけど産まない
内定をもらったけど入社しない
働けるけど働かない
働かなくてもいいけど働く
お金はあるけど使わない
会えるけど会わない
知ってるけど言わない
生きられるけど生きない
死ねるけど死なない
できるけどしない、選べるのにあえて選ばないことが、日常にはたくさん溢れている。
選んだことよりも、選ばなかったことのほうにこそ、その人らしさや、その人の意思を強く感じる気がするから不思議だ。
いや、「選ばない」ことも
それもまた、ただのひとつの選択か。
今度、友達や誰かと会ってゆっくり話す時は、何かを選ばなかった方の理由についてもちゃんと聞いてみよう。
その人らしさ、こだわりを発見できるか、
実験してみようと思う。