オノ・ナツメ作「どこかでだれかもたべている」感想
中二の娘が、学校の図書館で借りてきて、
「おかあさん、このマンガ、飄々としてるけど、なんか面白いから、読んでみれば」
と言われて、これを勧められた。
一、二話読んで、その名の通り「どこかでだれかも食べている」一話一話のショートエピソード集で、正直あまりピンと来なかったので、一旦小休止。
そののち、「この本返さなくて良いの?」と聞いたら、「お母さんが読んでないんなら、まだ返却期限きてないから先で良いよ」と言われて、「私読んでる時間あるかな?」とさらに逃げ越した所、「大丈夫、短いから、すぐ読める」と、再度猶予期間を与えられた。
舐めるように可愛がって自由気ままに育った娘は中二となり、一人の時間をひたすら好み、時に私や旦那に赴くままの怒りをぶつけたり、時に遠慮がちに気を使うのがちょっと切なくなってきた反抗期真っ只中の今日この頃。
その娘にしては、押しが強い。
昨日の晩、読み進めた。
一話一話の物語に、登場してくる食べ物は、お弁当屋さんのお弁当や温泉まんじゅう、茹でたての大量のシャコや、三連プリン、ボールいっぱいのポテトサラダなど、それはそれはとても個人的で日常的に食べるものばかり。
エピソードも年老いた両親が温泉に到着し、別に暮らす娘に電話をする。ちょうど娘宅には宅急便の時間指定で温泉まんじゅうが届き、別々の場所だけどせめて同じ時間に一緒に食べるという話など、心がふわっとする内容。
三連プリンと三連ヨーグルトを2人の姉妹で分ける話や、お弁当屋の店員の男の子とお客の女の子のおかずのチョイスがピッタリ合ってる話やポテトサラダをボールいっぱい作って白ワインと共にシリーズものを一気見するカップルの話など関係性も多種多様。
そんな物語たちを読んでいたら、多分誰もが自分にとっての懐かしい食べ物の物語が頭に浮かんでくることだろう。
その時の味やら匂いやら、一緒に食べた姉の美味しそうな顔やら、こちらの美味しそうに食べる顔を見て嬉しそうにしている母や父の顔やらなんやらを。
家族は、成長過程の中で、時に縛りつけるものだったり、価値観を押し付ける疎ましい存在であったり、色んな関わりがあるので、一言では言えない複雑な思いがあるかもしれない。
だけど、おいしいものを家族一緒に食べていたあのひと時は、自分の中の幸せな記憶に確実に刻まれているし、これからも刻まれていくことだろう。
きっと、娘はそんな事を伝えたくて、母である私に読んで欲しかったんじゃないかなと思った。
ちなみに、これを読んで思い出した食べ物エピソードの一つは、21、2才でだんなと付き合いだした頃、よく2人で食べに行った秋吉という焼き鳥屋さんの純けい。卵を産み終わった雌鶏は硬いがとても味があり、そのいくつかの部位を一串に刺し、塩で焼き、辛子とニンニク唐辛子のタレをつけて頂く。福井県発祥のお店で、とりあえず30本から始まって、中生延々に2人で飲み食べる。
二十うん年後の最近は、うちの駅二つ先位に支店があるので、たまに、テイクアウトで買ってきてもらって、家族で相変わらず食べている。うまい!
娘は、この豚トロ味噌焼きに、ネギと酢醤油をつけて食べるのが好き!いつかコロナがおさまったら、家族でお店で食べたい。
そして、私は、今日も娘のお弁当を作る。
by金曜日の転寝